アジア神秘紀行「日本統治の面影~台北、基隆」(BS朝日)を見た。
台湾総督府、台湾博物館など台北に遺る日本統治時代の建物を紹介した。台湾博物館の壁やステンドグラスには、後藤新平と児玉源太郎の「家紋」が飾られているのだと知った。どこかの本には書いてあるのだろうが、実際に訪れたときには全く気づかなかった。迎賓館(台湾総督公邸)の中には、特別の和風家屋があり、それは田総督時代になって作られたものだと説明された。田総督というのは、田英夫の祖父であるから、まさに歴史は今に繋がっている。
台湾史における日本統治時代は、台湾の近代化に寄与した、輝かしい時代であったことを確認する。
テレビ朝日としては、とても好感の持てる番組だった。
【番組紹介より】
高層ビルや商業施設が立ち並び、急速に発展を遂げる都市、台湾・台北。世界でも随一の親日国であり、戦前には日本が植民地化し、多くの日本人が街の発展に関わってきました。今でも台北の街へ一歩足を踏み出せば、日本統治時代の歴史を感じさせる古い建造物に出会うことができます。その多くは、かつて日本人が造ったものなのです。
台北の中心地にそびえ、台湾の政治の中枢を担う中華民国総統府。この建造物は戦前、台湾を統治する拠点として日本人が造った台湾総督府でした。技術大国日本の全てをつぎ込んで造られた総督府は、第二次世界大戦で崩壊しましたが、戦後、昔の面影そのままに修復され現在に至っています。
そして今回は、1901年に完成してから105年間、その全貌が謎に包まれていた建造物、台北賓館を紹介します。現在は迎賓館として使用されている台北賓館は、日本統治時代は日本からやってきた総督が暮らす官邸でした。西洋風の建造物でありながら日本風の庭園が広がる景観は、独特の雰囲気を醸し出しています。迎賓館としても使用していたため、内装は豪華絢爛。またテレビ初公開の別館も紹介します。そこは異国にいる事を忘れさせる、純和風の空間でした。
台北から東へ30km、世界屈指の貿易港として有名な基隆は、かつて日本人が整備した港。多くの日本人がこの地に降り立ち、ここから台湾全土へと旅立っていきました。現在も通関業務を行う海港大楼はかつて日本人が手がけた建造物で、内装のほとんどが昭和初期に造られたままの状態で残っています。さらには日本統治時代、日本の企業によって金の採掘が行われ、多くの日本人が移り住んだ金瓜石、九份にも日本人の足跡を辿ります。
日本統治時代の面影が色濃く残る台北とその近郊。今もなお当時のままの姿を残す建造物と、当時を偲ぶ台湾の人々を通じて、懐かしい日本に出会える旅を紹介します。