今日の「産経抄」(下掲)はなかなか興味深かった。
中国近代史の岡本隆司氏(京都府立大学準教授)が授業で「日本の不幸は中国のそばにあることだ」と言うと、必ずその言葉に食ってかかる中国ファンの学生がいたそうだ。十数年前の話だそうだが、私の記憶ではそれより前でも大して事情は変わらなかった。
大昔、文化大革命を礼賛した安藤彦太郎、新島淳良という教授が、早稲田大学政経学部にいた。この二人の場合、「日本は中国に学ばないことが不幸だ」とでも言いたげに、文革中国を誉め続けた。マスメディアの連中に親中国感情が強かったのは、こういう左翼教授の授業を受け、真に受けたからだろうと思えてならない。
尖閣諸島を中国領だとする著書を著した井上清(当時・京都大学教授)ほかの親中国言行録は、次のブログに詳しい。
http://www.wengewang.org/read.php?tid=20428
一昨年、ある大学で「東アジア国際関係史」を聴講したが、団塊の世代に属するS教授は、上述の岡本隆司氏と同様のことを話していた。最初は中国にシンパシーを感じて研究を志したが、この何十年間で中国の意のままに「歴史認識」が変えられていったことを口惜しく思っているようだった。
「歴史認識」なんて、かなりいい加減な話で、どうとでも言える。毛沢東時代の中国は、日本の支配階層と人民は別であるという立場をとり、感情的な「反日教育」は行わなかった。だが、江沢民時代からは、「中華愛国主義」と表裏一体の「反日教育」を行い、大陸中に「反日感情」を蔓延させた。
日中の際だった違いは、日本ではどんなことがあってもナショナリズムの昂揚が許されておらず、日の丸を掲げただけで「右翼」扱いされる。これは、敗戦国故のトラウマでもある。一方、独裁国家の中国では、共産党批判は絶対禁止であるけれども、「反日」の意思表示は「愛国主義」として許容されるということだ。この見事なまでの行き違い。
結局、こんな国が隣にあることが不幸、というのは、極めて自然な思いとなる。
産経抄】8月21日
「日本の不幸は中国のそばにあることだ」。中国近代史を専門とする岡本隆司さんが十数年前、大学の授業で冗談めかして言うと、「何でそんなひどいこと言うんですか」などと食ってかかる、中国ファンの学生が必ずいたそうだ。
▼香港の活動家による、沖縄県・尖閣諸島への不法上陸をきっかけに起こった中国の反日デモは、4日後の日本人上陸のニュースを受けて、20都市以上に飛び火した。日本車を破壊したり、日本料理店のガラスを割ったり、一部の参加者の乱暴狼藉(ろうぜき)は、相変わらずだ。
▼岡本さんの「冗談」は、もはや当たり前すぎて、口にすることもなくなった。中国の若者が「反日」に走るのは、江沢民総書記時代の徹底した反日教育を受けてきたからだ、との指摘がある。もっとも反日デモ自体は、1910年代からあった。
▼岡本さんは、『中国「反日」の源流』(講談社)のなかで、その由来を明・清の時代以来の両国の社会構造の違いにみている。為政者が民衆の生活にある程度関わっていた日本に対して、中国の支配者は、税を取り立てたあとの人民の暮らしに興味を示さなかった。いわゆる「西洋の衝撃」の受け取り方が大きく異なったのもそのせいで、相互の理解不足が近代の対立と破局につながったというのだ。
▼最近の反日デモは、経済格差などに対する若者の怒りの「はけ口」になっている、との見方がある。今秋の第18回共産党大会を控え、胡錦濤政権の対日政策を批判して勢力拡大を図る、党内左派の姿も背後に見え隠れする。
▼歴史的経緯に加えて、一党独裁体制の矛盾を映し出す「反日」に、日本は振り回されてきた。経済を立て直し防衛力を強化して、対峙(たいじ)するしかない。