一昨日の「産経抄」に対して、「人民日報インターネット版」が即座に反論※した。こういうやりとりが珍しいのか、いつものことなのか、私は寡聞にして知らないが、「人民日報」の「反論」記事のトーンには、懐かしい響きがある。
※ http://j.people.com.cn/94474/7921147.html
そう、共産党一党独裁のメディアというのは、いつもこういう書き方しかしないのだ。
それにしても、「日本の反中分子に言わせれば、中国のそばにあったことはどの点から見ても日本の不幸なのだ。幸い、歴史は特定の新聞社が書くものではないし、ましてや特定のメディアの特定のコラムで簡単に改竄できるものでもない。歴史には正しい道理、理性、良知が自ずと備わっている」とは、よく言ったものだ。
日本の反中分子という言い回しも陳腐。中国共産党は、こうやって敵対分子にレッテルを貼り、闇に葬ってきたのだろうと思い起こさせる言葉だ。チベットを武力併合し、新彊ウイグルを漢族の植民地としてきた。内モンゴル、満州も同様。自分たちの”暗黒の歴史”を少しは顧みたらどうか、と言っておく。
もしチベットやウイグル人が「子曰く、君子は坦として蕩蕩たり、小人は長く戚戚たり。理性と良知がない心は必ず歪んでいる。歪んだ心は必ず陰気で、バランスを失し、人に罪をなすりつけ、隣人との関係がうまくいかないのである」という結語を読んだら、 それは中共(=中国共産党)、お前達自身のことだろう、と悲憤慷慨することは間違いない。
中国のそばにあるのは日本の不幸?
日本の産経新聞は21日付の1面コラム「産経抄」で、大学教授の「冗談」を借りて「日本の不幸は中国のそばにあることだ」と指摘した。コラムは日本の反中分子の「上陸」が引き起こした中国の青年の反日デモについて、中国の若者の反日感情は中国政府の反日教育の結果だとしている。コラムはこの教授の著書『中国「反日」の源流』を引用し「中国の反日デモは1910年代に始まった。反日の原因は明・清以来の両国の社会構造の違いにあるが、最近の反日デモは貧富の格差拡大への不満が引き起こしたものだ。反日は口実に過ぎず、日本の不幸だ」と指摘。さらに「日本は経済力を建て直し、防衛力を強化して、中国に対抗すべきだ」としている。解放日報が伝えた。 産経新聞のロジックはこうだ。もし中国の若者が釣魚島(日本名・尖閣諸島)の侵奪・占拠という日本の行為に対してなんら反発しなければ、日本は不幸を感じない。もし中国の貧富の格差が縮小すれば、中国の若者は釣魚島への日本人の上陸に反対しない。もし1910年代に反日運動が起きなければ、現在も反日運動はない。こうなれば日本も幸せだ--。 まさしく「君が何も説明しなければ私はまだわかるが、君が説明すればするほど私にはわからなくなる」というやつだ。釣魚島に日本人が上陸してもなお中国人に憤りを表明させないとは、まさか「私がお前の右頬を打ったら、左頬を向けろ。それでようやく私は幸せだ」とでも言うのか?デモの原因を貧富の格差とするにいたっては、ますますわけがわからない。まさか貧富の格差が縮小すれば、主権は放棄できるとでも言うのか?それならば日本は貧富の格差が大きくないが、なぜ領土への野心はかくも大きいのだ?筆者の見るところ、産経新聞は1910年代の事に言及したことで、かえって歴史と現実を偶然正視することになった。当時、2つの出来事が起きていたからだ。1つは「対華21カ条要求」で、日本は中国を滅ぼそうとした。もう1つはパリ講和会議で、日本は山東省を窃取しようとした。産経新聞が中国の反日運動がこの2つの出来事に端を発すると指摘したことは、日本による釣魚島占拠が「対華21カ条要求」や山東省窃取と性質が瓜二つであると認めたに等しい。産経新聞が不幸だと感じるのも無理はない。日本は手に入れたいものを得ていなかったのだ。 日本のそばにあった琉球王国は、「処分」されて日本の一部となった。同じく日本のそばにあった韓国は日本に「併合」された。この両国がそばにあったことは、日本にとって実に幸運であったようだ。一方、中国がそばにあったことはそれほど幸運ではなかった。なぜなら中国が近いために日本は漢字文化の薫陶を受けざるを得なかったが、もしそうでなければずっと文字のない蒙昧で無邪気な時代を続け、中国文化を経ずに直接欧米文化を導入でき、後に明治の教育家・福沢諭吉の呼びかけた中国という「悪友」の謝絶、「脱亜入欧」の過程を省けたからだ。1930-40年代、日本は中国を侵略して放火・殺戮・略奪を行った。中国には防ぎ止める力がなかったので日本は侵略の罪名を背負い、現在にいたるもこれをそそぎようがない。これも日本の不幸だ。 米国は日本に原子爆弾を2発投下した。1発は広島、もう1発は長崎で、20万人が即死した。後に日本では米国に敗れたのは幸運だったとの声が上がった。これはもちろん、米国が日本の軍国主義時代を終らせたことを指摘している。だが、米国中心の極東国際軍事裁判で断罪されたA級戦犯を祀っているにも関わらず、米国が靖国神社参拝について知らないふりをしていることを理由に、幸運だったと感じる日本人もいる。特に最近米国は、戦時中に米軍の爆撃で死んだ「疎開者」の慰霊のために日本の政治屋が釣魚島に行くことにも沈黙を保ち、さらに日本に武装を促し、「島嶼奪還」演習を行っている。一部の日本人はこれをなおさらに幸運と感じている。一方中国について考えると、中国人は日本の戦争孤児を慈しみ育て、大人になると日本に帰しもしたのに、孤児たちは中国で不幸な目に遭ったと考える日本人がいる。中国は日本に戦時賠償金を要求しなかったが、これについて反中分子は日本政府の過ちだと言う。良心の上で負い目を背負うようになったことが日本の不幸だと言うのだ。 要するに、日本の反中分子に言わせれば、中国のそばにあったことはどの点から見ても日本の不幸なのだ。幸い、歴史は特定の新聞社が書くものではないし、ましてや特定のメディアの特定のコラムで簡単に改竄できるものでもない。歴史には正しい道理、理性、良知が自ずと備わっている。子曰く、君子は坦として蕩蕩たり、小人は長く戚戚たり。理性と良知がない心は必ず歪んでいる。歪んだ心は必ず陰気で、バランスを失し、人に罪をなすりつけ、隣人との関係がうまくいかないのである。
「人民網日本語版」2012年8月23日
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