澎湖島のニガウリ日誌

Nigauri Diary in Penghoo Islands 澎湖島のニガウリを育て、その成長過程を記録します。

映画『イエスタデイ』 を観る

2019年10月25日 11時14分45秒 | 音楽・映画

 映画「イエスタディ」(2018年 英国映画)を見る。週日の午後、映画館は高齢者と中年がパラパラと点在。

 ビートルズが存在しなかったという、異次元のパラレルワールドに迷い込んだ主人公の路上シンガーが、自分だけが知っているビートルズの楽曲を自作として歌い、世界的な成功を収めていくというストーリー。交通事故でパラレルワールドに迷い込んだという設定はいいとしても、ビートルズの楽曲が無条件に人々の心を打つという「所与」条件にまず疑問を持ってしまう。

 いまから50余年前、都下・立川の映画館は「ビートルズがやってくる ヤア!ヤア!ヤア!」を見るために集まった若者で、文字通り立錐の余地もなかった。たかがスタンダードサイズのモノクロ映画に、大英帝国からはるか離れた「極東」の一角でアジア人の若者も熱狂していたのだ。ネット検索であらゆるものが検索可能、可視化されるようになった現代とは異なり、半世紀前の日本は、海外旅行は高根の花、海外の音楽映像を見る手段は映画くらいしかなかった。そのことを体験した世代にとっては、この「イエスタディ」は何とも中途半端でつまらない映画だとしか思えなかった。

 この映画に星をつけるとすれば、私は迷うことなく★ひとつ。そんなことを言ってるのは私だけかと思って、いくつかレビューを参照してみた。その中で、映画評論家・町山智弘が「ビートルズ現象は、単に楽曲がいいとかだけではなく、アイドル性、ファッション、歌唱(コーラス)で卓越していた。この映画は、そういうビートルズの全体像をとらえていない」と評していた。つまり、ビートルズが存在しなかったパラレルワールドで、2010年代になって、ビートルズの楽曲をソロで唄っても、「ビートルズ現象」は起こりえない。そんな自明な疑問をクリアーできていないと思ってしまう映画だった。

 ちなみに、このパラレルワールドには「コカ・コーラ」は存在せず、「ペプシ」しかない。ローリング・ストーンズは存在するが、ビートルズは存在しなかった。こういうのも、なんだかなあとガッカリしてしまう。また、主人公のシンガーがインド系英国人だという設定にも、大英帝国の斜陽と没落を実感してしまう。さらに、ネタバレになってしまうが、主人公がイングランドの海辺の寒村で暮らす78歳のジョン・レノンに会うという設定もいかがなものか。

 敗戦後二十年、極東の島国(ニッポン)に閉じ込められた「団塊」の若者が、ビートルズに託した夢と幻想。あのときは、お金もなく、海外旅行も夢の夢だったが、熱気だけは確かにあった。そんなことを知る世代は、この映画の不甲斐なさには我慢がならないのではないか。

 

映画『イエスタデイ』予告



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