元東大教授・衛藤瀋吉氏(中国政治外交史)が亡くなった。84歳。戦争、学徒出陣を経験した世代が次々と去ってゆく…。
この人の言動はいつも刺激的だった。
「東アジア国際関係史」という講義では「立教大学の野村浩一君は漢文があまりできない」と言うように、しばしば同僚学者の批判をした。京都大学の矢野暢教授(当時)※に対しては、書評に「ハンサムな彼には…私など敵わない」というような書き方をしたので、これは何のことだろうと思った。その後、矢野教授はパワー・セクハラの先駆者として京大を追われ、異国で寂しく客死した。矢野氏の女性問題を暗示するように、こういう表現を使ったのだなと知った。
(※ 余談だが、矢野暢教授は、クリームシチューの有田哲平の叔父だった。)
TVの「朝まで生テレビ」に出演した時には、女性タレントの連ほう(現・民主党議員)が「日本では大学院に行っても受け入れてくれる企業がない」という発言をしたのに対し、「学問は結果を求めてするものではない」と一喝した。
著書「日本の進路」の前書きに書かれていることだが、衛藤氏は千葉医大(現・千葉大学医学部)を受験したが、もっと世の中に役立つことをしたいと考え、白紙答案を出したという。東大法学部を志したのはそのためなのだそうだ。子息の衛藤光氏が医師と思われるのも、こういう父親の影響を受けているに違いない。
70年代には、中国高官の前で「蒋介石もまた愛国者であったと言えるかも知れない」と発言して、中国側の激怒を買った。「中華愛国主義」を唱える現在の中国を見通したかのような発言だった。
東大を退官して青山学院大学教授になったときは、青学教授達が行う「学内政治」に呆れて苦言を呈したこともあった。「もっと学問に専念せよ」と。
その後、亜細亜大学学長となって、あの「一芸入試」を実施した。「冒険家」の野口健などは、これで有名になった一人だ。
ちなみに、衛藤瀋吉氏の父親は、旧満州国の奉天(瀋陽)図書館長だった。「瀋吉」という名前の由来でもある。
一見、傲岸不遜でイヤなタイプに見える人だったが、終始一貫したものを持っている人でもあった。
こういう世代が次々と去っていく…。
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