都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
日本のクリスマスは、一般に「ラブイベント」の特色が強いため家族・恋人向けに、様々な催し物が行われます。
そのため11月末頃から、街はクリスマスカラーと呼ばれる「赤」・「緑」・「白」などの色とりどりの装飾品で飾り付けられます。テーマソングである「ジングル・ベル」の曲が流れて、デパートや商店街には、サンタクロース・トナカイ・もみの木などのオブジェや高級な「クリスマスの贈り物」が並びます。
このような街の景色を見て、「もう12月なんだ・・・」と感じる方も多いのではないでしょうか。
クリスマスカラーと呼ばれる「赤」・「緑」・「白」には意味があります。
「赤」は、イエス・キリストが流した「血の色」だそうです。だから、クリスマスに使う赤色の飾りは、リンゴ、ヒイラギの実、ポインセチア等。サンタクロースも赤服をきています。
「緑」は、常緑樹の色で「永遠の命」・「神の永遠の愛」を表わすそうです。緑色の飾りといえば、ツリーに使うもみの木や飾り付けのヒイラギなど。
「白」は、「純潔」を意味し、クリスマスには雪が降ることになっています。
日本のクリスマスは、フランシスコ・ザビエルとともに伝来(1549年)してから460年の余り歴史があります。
日本が鎖国をしている間、長崎の出島ではオランダ商人によって密かに「阿蘭陀冬至(おらんだとうじ)」としてクリスマスを祝ったそうです。
明治9(1876)年、銀座の原胤昭(はらたねあき)経営の原女学校で、原胤昭主催のクリスマス祝会が行われました。多くの文献でこの日を「日本人が主催した日本で最初のクリスマス」としています。
日本の市民一般にクリスマスの習慣が伝わったのは明治時代後半だそうです。輸入高級食材の販売で有名な「明治屋」が、東京の銀座で「クリスマス・セール」を開催したことが始まりといわれています。明治33(1900)年、明治屋で始まった銀座のクリスマス飾りはそれ以降銀座の歳末の風物詩となったのです。
明治後期・日露戦争と第一次世界大戦の間にはキリスト教徒の行事という枠を超えて、既に日本文化となっていたようです。
明治時代にクリスマスの商業宣伝が始まり、初期のプレゼントの定番は「歯磨粉」だったようです。
明治時代クリスマス・プレゼントの人気商品は「歯磨粉」だった。これはライオン歯磨きのクリスマスの広告戦略で「毎日歯を磨く子は良い子で、良い子にはサンタクロースがプレゼントを持ってくる!」という画期的な宣伝だったようです。
日露戦争後、急速に人々の間でクリスマスが広がっていきました。それは、西洋化をすることで「国際社会の一員」を意識するために必要なことだったようです。
この頃、サンタクロースをヒントに「子供福袋」が登場してきます。大晦日の晩に枕元に福袋を置いていました。24日でないところが面白いです。
しかし、この習慣は、次第に修正され、子供たちはクリスマスを「サンタが子供におもちゃをくれる日」いうように理解するようになりました。
そして大正時代に入ると、雑誌の12月号には毎年クリスマスをイメージした絵柄が使用されていたようです。
戦後の日本復興支援として「GHQ」は、クリスマスにサンタの格好をした人がキャンディを配ったり、パラシュートで空から舞い降りてきたりなどのクリスマスイベントを開き人々に笑顔を与えました。
ジー‐エッチ‐キュー【GHQ】[General Headquarters]
《 General Headquarters 》総司令部。特に、第二次大戦後、連合国軍が日本占領中に設置した総司令部。マッカーサーを最高司令官とし、占領政策を日本政府に施行させた。昭和27年(1952)講和条約発効により廃止。連合国軍最高司令官総司令部。
大辞泉
この物資の乏しかった時代には「愛を贈る日」として広がっていきました。その後、日本の経済が上向きになってくると、クリスマスは商業化をし始めました。マイホームを購入した家庭では、現在のようなケーキにシャンパン、ご馳走と言った「ホームクリスマス」を行うようになっていきました。
日本では、クリスマスは恋人や友達と過ごし、お正月は家族と過ごすことが多いのに対して、欧米では反対にクリスマスは家族で過ごし、お正月は友達や恋人と過ごすことが多いようです。そのため、この日、欧米では店を休業して家族でミサへ行きますが、日本では売上が見込める日なのでほとんどの店が開いています。
販売促進のための商業的な意味合いが強いからでしょう。純粋にクリスマスを祝う日本人は少ないということです。
また、欧米ではプレゼントを2~3個貰うのが普通ですが、日本の場合はサンタさんから貰えるのは1個が定番です。それは一週間後に迫ったお正月に「お年玉」を子供たちにあげるという風習があるため、サンタさんの懐(ふところ)具合が影響しているのかもしれません。
したっけ。