都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
「建国記念の日」が「紀元節(きげんせつ)」(神武天皇が即位した日)であったということは、ご存知の方も多いと思います。
日本の起源を祝日にしようという動きは、明治時代、「神武天皇(初代天皇)」即位の初日を日本の「紀元(歴史が始まる最初の日)」としたことから始まります。
この、日本の紀元の日を1873年(明治6年)に、2月11日を「紀元節」として祝日定められました。
「紀元節」は全国の神社で「紀元節祭」と呼ばれ祭事が催されていたほか、庶民の間でも「建国祭」として祭典が行われていました。しかし戦後になり「紀元節を認めることにより、天皇を中心とする日本人の団結力が高まり、再び米国の脅威となるのではないか」という「GHQ(占領軍)」の意向で、「紀元節」は1948年(昭和23年)に廃止されました。
しかしその後、紀元節を復活させようという動きが高まり、反対する動きを抑え建国を記念するための祝日を設けることとなりました。そして、1966年(昭和41年)に国民の祝日に認められ、その際「紀元節」から「建国記念の日」に改正されました。翌年1967年から適用されました。
「建国記念の日」が「建国記念日」ではないのは、史実に基づく建国の日とは関係なく、建国されたという事実そのものを記念する日だからだそうです。
「建国記念の日」が成立するまでには「日本の正確な起源などわかっていないのに建国記念など定められない」など専門家による多くの議論があったようです。
『日本書記』では、日本国を統一した「神倭磐余毘古命(かむやまといわれびこのみこと)」とは、初代天皇になった「神武天皇」であると書かれています。
「神倭磐余毘古命」は「高千穂峰(たかちほのみね:宮崎県と鹿児島県の県境に位置する複合火山 )」から船に乗って瀬戸内海経由で「大和の国(現在の奈良県)」に入り、そこで数々の敵を打ち破り、大和地方の民を統一して国家をうちたてたことになっています。
『日本書記』には、「辛酉年春正月庚辰朔 天皇即帝位於橿原宮是歳爲天皇元年」とあり、「辛酉(かのととり)年の春正月の庚辰朔(かのえたつのついたち)に、天皇、橿原宮に即帝位(あまつひつぎしろしめ)す。是歳を天皇の元年とす。」と記述があるそうです。
つまり、「神倭磐余毘古命(神武天皇?)」は、現在の建国記念の日にあたる、辛酉元旦(現在の暦に直すと紀元前660年2月11日)に、「大和の橿原(かしはら)の宮」で即位したとされ、そこから2月11日を「建国記念の日」に定めたという説もあるということになっています。ここが微妙なところです。
歴史学上では「神武天皇」は実在の人物ではなく「神話」として位置づけられているようなので、「建国記念の日」の根拠はあいまいなのです。
「建国記念の日は政令で定める日 建国をしのび、国を愛する心を養う。」と定められています。
他の祝日が祝日法に日付を定めているのに対し、この日のみが「政令で定める日」と定められているのです。
せい‐れい【政令】
1 政治上の命令や法令。2 内閣が制定する命令。憲法および法律の規定を実施するための執行命令と、法律の委任に基づく委任命令とがある。
大辞泉
2012年野田首相による第180回通常国会開会時の施政方針演説
今般の大震災が残した教訓を未来に生かしていくことも、私たちが果たさなければならない歴史的な使命の一つです。もう「想定外」という言葉を言い訳にすることは許されません。津波を含むあらゆる自然災害に強い持続可能な国造り・地域づくりを実現するため、災害対策全般を見直し、抜本的に強化します。
したっけ。