都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
■紀元前
「メソアメリカ」と呼ばれた中南米地域一帯に栄えたオルメカ、マヤ、アステカといった文明社会において、カカオをすりつぶしたものを薬として飲用していたことが「飲むチョコレート」のはじまりと言われる。一種の強壮飲料として、王族など一部の人だけが飲んでいたらしい。
さらに、貨幣としても流通していたとされ、これらは中米のクエリョ遺跡やマヤ文明の土器が出土した地層から、カカオ豆や外皮などが発見されていることから明らかになっている。また、熱帯雨林に自生するカカオの木を発見したのは、マヤインディオといわれています。
■1502年
コロンブスが最後の航海中に、中米ホンジュラス付近でマヤ人と会い、彼らの荷物の中にカカオ豆を発見し入手するが興味を示さなかったそうです。
■1519年
カカオ豆はブラジルやベネズエラが原産で、アステカを征服したスペイン人コルテスがヨーロッパ(スペイン)に持ち帰ったそうです。
コルテスは、アステカのモンテスマ皇帝からご馳走になったチョコラトルが疲労回復、興奮剤、媚薬の効果を持つことを知ったそうです。その後ヨーロッパでは、飲み物以外に薬としても長く使われることになりました。
中南米では、19世紀までカカオ豆を通貨として使うほど高価だったので、だれもが飲めるようなものではなかった。
■1615年
大のチョコレート愛飲者だったオーストリア皇女アンヌ・ド・オートリッシュがチョコレートコックを連れてフランスのルイ13世に嫁ぎました。これにより、チョコレートは瞬く間に貴族の中で流行したそうです。
■1650年
イギリスでは17世紀、「チョコレートハウス」というのができて、当時はやったコーヒーショップなどより高級とみなされていたそうです。
■1661年
さて、コルテスがスペインに持ち帰った後も、やはり王侯貴族、特権階級だけが飲んでいた。製造方法も秘密にされていた。ところが当時の王族は、国を越えて結婚することが多かった。チョコレート好きだったスペイン皇女マリア・テレサはフランスのルイ14世と結婚。「王とチョコレートは、我がただふたつの情熱」との言葉を残しているのは有名なお話。チョコレートがいっそう人気を博し、すっかり定着したそうです。
フランスは、西インド諸島マルチニック島でカカオ栽培を開始。
■1828年
カカオ豆は脂肪分が豊富で、そのために水に溶けにくかった。これを水に溶けるように、オランダ人のヴァンホーテンが「ココアバター」搾油技術の開発に成功しました。油を取って粉にしたのがココアパウダー。やっと人類はココアを手に入れました。絞った油の方はココアバターと呼ばれ、体温で溶ける唯一の植物性油脂として、坐薬や軟膏にも使われたそうです。
■1847年
イギリスのフライ社が、世界で初めて固形のチョコレートを開発した。ココアパウダーと、砂糖、ココアバターを混ぜて、型に流し込んだのです。
■1876年
スイスのダニエル・ピーターが、粉末にしたカカオペースト・砂糖・ミルクにココアバターを加える製法を開発。それまで強かった苦味をおさえた「ミルクチョコレート」が誕生。
■1878年
コロンブスから400年後、明治時代になって初めて「猪口齢糖(チョコレート)」が日本に発売されたが、全く口に合わず、高価でもあったのでなかなか普及しなかったようです。
■1879年
スイスのロドルフ・リンツがチョコレートを数日かけて混ぜ合わせると、口当たりがなめらかに変わることを発見。生地を練りあげる「コンチェ」と、粒子を細かくすり潰す「レファイナー」という機械が発明された。現在では「コンチング」として知られる製造工程である。さらに、余分にココアバターを加えることでチョコレートがよりなめらかになることも発見し、口の中で溶けるチョコレートへと進化する。
■1918年
原料チョコレートを輸入しての加工製造を行っていた日本で初めてのカカオ豆からの一貫製造が、森永製菓によりスタートされる。ついで、1926年には明治製菓でもスタート。
■1960年
日本でココアバター、カカオ豆の輸入自由化される。
高度成長期の中で、チョコレートの消費は拡大し、チョコレートがごく身近なお菓子としての地位を獲得する。そして現在では、ヨーロッパ各国に引けを取らないショコラティエが多数活躍する、アジアのチョコレート王国となっている。
■ 2012年
今日は、義理と人情が日本中で泣き笑いの騒動を起こしています。私は蚊帳の外・・・。
★おまけ★手作りチョコを作ろうとする、貴女に・・・
テンパリングの手順
テンパリングは、チョコレートに含まれるココアバターの結晶を安定化させることを目的とした温度調整です。
手で触っても溶けずに、口に入れると溶ける。しかもつやがよく仕上がります。
手順としては、
① 一旦チョコレートの温度を50℃前後まで上げて全ての結晶を溶かします(液状にします)。
② 次に空気を入れないように攪拌しながら27℃まで温度を下げます。
③ そして再度32℃に温度を上げます。結晶が最も安定する温度が32℃なので、この温度を保ったまま作業するとよいでしょう。
ただし、ミルクチョコ、ホワイトチョコは、成分中の粉乳がカカオバターの凝固を妨げるため、スイートチョコよりも融点が低くなります。これはチョコレートメーカーによって、若干差があります。
したっけ。