団塊オヤジの短編小説goo

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都月満夫の短編小説集2

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都月満夫の短編小説集

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「桜の花が咲いた夜」
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「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
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「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」

「キムチの歴史と起源」について考える

2012-02-24 09:59:09 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

漬物の歴史は古く、中国で文献に初めて登場するのが紀元前2世紀の「詩経(しきょう:中国最古の詩集)」で、その当時は「祖」と呼ばれる胡瓜の塩漬けで、現在のものとは違うものだったと考えられます。

Photo_2 古代中国では、すでにキムチの先祖とも言うべき「祖(ソ)」という 漬物が作られていたことになります。紀元前32世紀になると古代中国は戦乱の世を向かえ、多くの人々が古代朝鮮(現在の朝鮮半島)へと逃げていき、定住するようになり「祖」が朝鮮半島にわたりました。

キムチのふるさと朝鮮では野菜の塩漬けのことをやはり中国と同じ「祖(ソ)」と呼んでいましたが、高麗時代(こうらい:936-1392年)から「漬(ジ)」と呼ぶようになったようです。この「漬」という呼び方が日本に伝わり日本では塩漬けのことを「漬物」と呼ぶようになりました。

白菜の「キムチ」が文献に登場するのは、高麗時代の「東国李相国集」(李相国 11681241年)で、「(かぶらは)醤漬けして夏に食べるのがよく、また塩キムチ漬けして冬支度に備える」と書かれているそうです。この時のキムチは日本の白菜漬けと同じ塩漬けで、「沈漬(チムジ)」と呼ばれていましたが、その後「沈菜(チムチェ)」と呼ばれるようになりました。

ハングル料理書『飲食知味方(李時明夫人張氏著1670年)』に出てくる「キムチ」は、唐辛子を使用したものは一つも見られないそうです。

東国歳時記(洪錫謨著1849年)」によると、「冷麺」は「そば粉の麺に、大根や白菜の「キムチ(冬沈:トンチミ)」と豚肉を のせた料理」と紹介されています。この頃の冷麺のトッピングに用いられた「キムチ」は、現在のような唐辛子を使ったものではなかったようです。

ちなみに文献に唐辛子を使った「キムチ」が登場するのは、「東国歳時記」より少し古く、『増補山林経済(柳重臨著1766年)』で、この中には白菜キムチの他 にも、多くのキムチの漬け方が書かれているそうです。

Photo_3 19世紀の文献『閨閤叢書(徐有本夫人李氏著1809年)』に出てくる「キムチ」を見ると、粉の唐辛子ではなく千切りの唐辛子が少し入れる製造方法が記録として残っており、19世紀前後に唐辛子が使用され始めたことが推測される。

唐辛子や山椒(さんしょう)、ナスと共に、ニンニクが初めて文献に登場するのもこの時期で、まさにキムチが新しい時代に入ったと言えます。

唐辛子を用いる料理も数多く紹介されており、この時期には既に唐辛子が生活に定着していたと考えられます。Photo_4

唐辛子が朝鮮半島で多用された理由として、「清朝(1644- 1912年:中国王朝)」に塩の生産が禁じられていた為、塩分を引き立たせる唐辛子を入れることで塩を節約したとも言われています。

日本へ唐辛子が伝わったのが1542であることは、江戸時代後期の農政学者・佐藤信淵(のぶひろ)の『草木六部耕種法(1829)に記述があると、昨日書きました。

その後朝鮮半島へ伝わったと言えます。その証として唐辛子を今でも「倭椒」または「倭茄子」と呼ぶことでも判ります。 

Photo_5 中国人が、今の結球型の白菜が完成したのは18世紀以降とされる。よって唐辛子と白菜を使った現在言われている「キムチ」の登場は、どんなに早くても18世紀以降と考えられています。

ですから、韓国の「キムチ」は、中国の「祖」と呼ばれる塩漬けと、日本から伝わった「唐辛子」から生まれたのです。韓国の「オリジナル」ではなかったのです。

    おまけ★

白菜は、英語名で 「Chinese Cabbage」 と言われます。その名が示す通り中国北部が栽培種の原産地で、2000年以上前にヨーロッパから中国へと伝わった菜種が、蕪と漬け菜に分化したと考えられています。

更に中国南部原産のチンゲン菜と交雑して「白菜」が誕生したと考えられています。

日本への渡来は意外と遅く1875年(明治8年)でしたが、栽培には失敗したようで、本格的に普及するのは、日清戦争(18941895年)、日露戦争(19041905年)が契機になります。

この両戦争の従軍戦士は農村出身者が多く、彼らが現地で白菜を食べてその味に感心し、種子を持ち帰って、各地で栽培されて急速に普及したそうです。

Photo

したっけ。

コメント (10)
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倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

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