大杉栄 自伝の「大倉の石の缶詰話捏造」は本当なんだろうか。
自伝は関東大震災で虐殺される少し前に書き始めたという。すると「石の缶詰」は日清戦争時であるのですでに25年近くは経っているし、平民社での会合も15年は経っている。大杉栄は自慢げに「大倉の石の缶詰」といっているがすでにある程度「大倉の石の缶詰」の話しは知られていたのではないだろうか。
木下尚江の「火の柱」 明治37年1月1日横浜毎日新聞に連載し始め3月20日で終わる。この間2月10日に日露戦争開戦となる。
木下尚江全集第二巻「火の柱」77頁
松島「あの砂利の牛肉缶詰事件の時など新聞はやかましい」といいかかると、大洞利八(大倉喜八郎)はあわてて「松島さん、そんな古傷の洗濯はご勘弁願います。まんざらご迷惑の掛け放しという次第ででも無かったようでごわすか」「それからかの靴の請負の時はどうだ。のり付けの踵が雨で離れて,水兵が梯子から落ちて逆巻く波へ行方知れずとなる、艦隊のほうから苦情を持込む」云々となって大蔵喜八郎の悪徳商人ぶりを書いている。日露開戦時には大杉栄が書いている頃よりもすでに喜八郎は「死の商人」と知られていたのだろう。平民社の人たちは大倉を悪役に仕立てようとしていた。
虚偽の話は真実が無いから,いか様にも変化して伝わる。
自伝は関東大震災で虐殺される少し前に書き始めたという。すると「石の缶詰」は日清戦争時であるのですでに25年近くは経っているし、平民社での会合も15年は経っている。大杉栄は自慢げに「大倉の石の缶詰」といっているがすでにある程度「大倉の石の缶詰」の話しは知られていたのではないだろうか。
木下尚江の「火の柱」 明治37年1月1日横浜毎日新聞に連載し始め3月20日で終わる。この間2月10日に日露戦争開戦となる。
木下尚江全集第二巻「火の柱」77頁
松島「あの砂利の牛肉缶詰事件の時など新聞はやかましい」といいかかると、大洞利八(大倉喜八郎)はあわてて「松島さん、そんな古傷の洗濯はご勘弁願います。まんざらご迷惑の掛け放しという次第ででも無かったようでごわすか」「それからかの靴の請負の時はどうだ。のり付けの踵が雨で離れて,水兵が梯子から落ちて逆巻く波へ行方知れずとなる、艦隊のほうから苦情を持込む」云々となって大蔵喜八郎の悪徳商人ぶりを書いている。日露開戦時には大杉栄が書いている頃よりもすでに喜八郎は「死の商人」と知られていたのだろう。平民社の人たちは大倉を悪役に仕立てようとしていた。
虚偽の話は真実が無いから,いか様にも変化して伝わる。