日清戦争時の食品業界 3
明治28年2月の田中正造の国会質問『牛肉缶詰買い上げに関する件』に対しての政府答弁は日清戦争当時の食品業界が良くわかる。田中正造全集第7巻513頁
『軍隊用牛肉缶詰買上等に関する質問に対する答弁書』 明治28年3月2日
第三 陸軍省が牛肉缶詰を買い上げを為すにあたり、その取捨選択する方法は協議会に参加し、陸軍省が指定する方法に従い誠実堅固に製造するものを選んでいて、今後もし粗製濫造に流れるかもしくは不正の行為あるものは拒絶するは勿論である。また納品された缶詰は製缶・精肉より荷造りに至るまで陸軍省の指定の方法に適しているか否かを点検し、かつ若干開缶実検品する手続きである。こうしてその製造能力を検定し製品の良否を判別するがごときはみな委員の任せ、その需要を各供給者に分割注文するごときはすべて購入責任者に与える。もし不良の品が発見された時は委員より検査の状況を購買主任者に通知し、事情軽きものは倉庫官吏によって処分し、事情重きものは購買主任者の指揮を待たせ、、即ち取捨選択の処分は委員と購買責任者とを待って初めて実行する者であって一人二人の吏員によって左右されるべきことではない。
終わりに一言すべきことは陸軍省は常に弊害の起こるところに注意しており、弊害を防ぐ方策を採っており当初の方針を変更して一方に利のあるように製造の方法・検査の規定を設ける等の事実は無いことを断言する。
田中正造は足尾鉱毒事件の告発で知られているが「牛肉缶詰購入」の件でも国会にて何回も質問している。しかし当時の衆議院の議事録からは「石の缶詰」の件には触れていない。むしろ消えた2600頭余の馬肉を問題としている。当時は乗り合い馬車が人力車と共に普及していて、馬に対して虐待ともいえるくらい酷使していて、弱った馬が馬肉となって缶詰に入っても判らない状況であった。このことは田中の演説で明治27年の頃は東京には二箇所の屠畜場があった。浅草と芝にあり半年で浅草では4~500頭の馬を処理していた。日清戦争が始まると2600頭余の馬が処理されたが、馬肉販売業者が増えず、何処に消えたかうわさになっていたのだろう。
明治28年2月の田中正造の国会質問『牛肉缶詰買い上げに関する件』に対しての政府答弁は日清戦争当時の食品業界が良くわかる。田中正造全集第7巻513頁
『軍隊用牛肉缶詰買上等に関する質問に対する答弁書』 明治28年3月2日
第三 陸軍省が牛肉缶詰を買い上げを為すにあたり、その取捨選択する方法は協議会に参加し、陸軍省が指定する方法に従い誠実堅固に製造するものを選んでいて、今後もし粗製濫造に流れるかもしくは不正の行為あるものは拒絶するは勿論である。また納品された缶詰は製缶・精肉より荷造りに至るまで陸軍省の指定の方法に適しているか否かを点検し、かつ若干開缶実検品する手続きである。こうしてその製造能力を検定し製品の良否を判別するがごときはみな委員の任せ、その需要を各供給者に分割注文するごときはすべて購入責任者に与える。もし不良の品が発見された時は委員より検査の状況を購買主任者に通知し、事情軽きものは倉庫官吏によって処分し、事情重きものは購買主任者の指揮を待たせ、、即ち取捨選択の処分は委員と購買責任者とを待って初めて実行する者であって一人二人の吏員によって左右されるべきことではない。
終わりに一言すべきことは陸軍省は常に弊害の起こるところに注意しており、弊害を防ぐ方策を採っており当初の方針を変更して一方に利のあるように製造の方法・検査の規定を設ける等の事実は無いことを断言する。
田中正造は足尾鉱毒事件の告発で知られているが「牛肉缶詰購入」の件でも国会にて何回も質問している。しかし当時の衆議院の議事録からは「石の缶詰」の件には触れていない。むしろ消えた2600頭余の馬肉を問題としている。当時は乗り合い馬車が人力車と共に普及していて、馬に対して虐待ともいえるくらい酷使していて、弱った馬が馬肉となって缶詰に入っても判らない状況であった。このことは田中の演説で明治27年の頃は東京には二箇所の屠畜場があった。浅草と芝にあり半年で浅草では4~500頭の馬を処理していた。日清戦争が始まると2600頭余の馬が処理されたが、馬肉販売業者が増えず、何処に消えたかうわさになっていたのだろう。