日清戦争時の食品業界
明治時代の食べ物の文献で西洋から始めて入った食物とか肉食のように
急に政府が奨励したことなどの文献は多いが漬物のように江戸時代も明治時代もあまり変わらない物は記述されることも無く,中々見つからない。
明治28年2月の田中正造の国会質問『牛肉缶詰買い上げに関する件』に対しての政府答弁は日清戦争当時の食品業界が良くわかる。田中正造全集第7巻513頁
『軍隊用牛肉缶詰買上等に関する質問に対する答弁書』 明治28年3月2日
第一陸軍は牛肉缶詰を購買する場所は東京の外に仙台・名古屋・京都・和歌山・大阪・神戸・広島・長崎等あって,質問者の言うように決して専ら東京のみに限ってはいない。
昨年(明治27年)6月朝鮮のこと(日清戦争)起こり,兵食用として牛肉缶詰の需用を生じるや,当時営業者中資力確実・製法完全と認める者が甚だ少なく,とっさの間この需用に応じる者なきを以って、舶来品を普通の商人から在庫品を購入していたが,(輸入品から)8・9月に至ると東京その他各地において缶詰製造に従事する者が続々と出,需用に緩急に応じて,これらを営業者より供給させていた。内地の製造額は次第に増加し,ついに外国品の供給を必要としないようになったが然るに内地の製造品はなお幼稚にして完全なる物でなく、酷暑に際し往々腐敗する缶詰があると聞き、一時製造所を官設にする議論があったけれど、民間業者がようやく缶詰製造業を興さんとするとき、官設工場によって,需用を途絶することは缶詰製造業の発展を妨げることになるので、むしろ缶詰製造業に従事する者を奨励誘導することによって改良を計るほうが良いとの議論が決まった。
よって本業に従事する者を集めて協議せんと,10月15日を期してこれ(缶詰営業者)を本省に集めたが当日来会する者40名に達し,この際本省において専門の官吏を以って委員を組織し,営業者に指示する製造の方法,監督の範囲,検査の順序及び価格の如何等を調査し,さらに11月10日を期して見本缶詰を提出することを要請した。また東京府下を始め日本各地に委員を派遣して工場に就いて具体的に検査して製法の良く無い者は,懇切丁寧に指導した結果、今日あるように各地の製造者がその製造能力に応じて,軍需をまかなうようになった。今その製造所を述べると、東京は18,仙台3、名古屋1、京都3、和歌山1、大阪神戸岡山各4、広島6、長崎1を合わせて全国45箇所。
而して,陸軍省が供給を独り関西地方に頼らないのは協議の結果で、牛肉缶詰の製法がよく、価格の適正なものであるならばどの地方でも購入しても良いとしている。
日清戦争時は軍用食料の確保まで準備が十分でなかった。輸入の缶詰から国産に替えたのは表向き国内産業の育成と述べているが、当時においては外貨が軍艦購入に費やされ食料購入に外貨を使うことは嫌われていた。これは綿花の輸入と砂糖の輸入と同じ状況である。綿花は綿布となって外貨を稼ぐが砂糖は専ら国内消費で嗜好品で無駄と思われ、戦費をまかなうため酒税と共に課税された。
明治時代の食べ物の文献で西洋から始めて入った食物とか肉食のように
急に政府が奨励したことなどの文献は多いが漬物のように江戸時代も明治時代もあまり変わらない物は記述されることも無く,中々見つからない。
明治28年2月の田中正造の国会質問『牛肉缶詰買い上げに関する件』に対しての政府答弁は日清戦争当時の食品業界が良くわかる。田中正造全集第7巻513頁
『軍隊用牛肉缶詰買上等に関する質問に対する答弁書』 明治28年3月2日
第一陸軍は牛肉缶詰を購買する場所は東京の外に仙台・名古屋・京都・和歌山・大阪・神戸・広島・長崎等あって,質問者の言うように決して専ら東京のみに限ってはいない。
昨年(明治27年)6月朝鮮のこと(日清戦争)起こり,兵食用として牛肉缶詰の需用を生じるや,当時営業者中資力確実・製法完全と認める者が甚だ少なく,とっさの間この需用に応じる者なきを以って、舶来品を普通の商人から在庫品を購入していたが,(輸入品から)8・9月に至ると東京その他各地において缶詰製造に従事する者が続々と出,需用に緩急に応じて,これらを営業者より供給させていた。内地の製造額は次第に増加し,ついに外国品の供給を必要としないようになったが然るに内地の製造品はなお幼稚にして完全なる物でなく、酷暑に際し往々腐敗する缶詰があると聞き、一時製造所を官設にする議論があったけれど、民間業者がようやく缶詰製造業を興さんとするとき、官設工場によって,需用を途絶することは缶詰製造業の発展を妨げることになるので、むしろ缶詰製造業に従事する者を奨励誘導することによって改良を計るほうが良いとの議論が決まった。
よって本業に従事する者を集めて協議せんと,10月15日を期してこれ(缶詰営業者)を本省に集めたが当日来会する者40名に達し,この際本省において専門の官吏を以って委員を組織し,営業者に指示する製造の方法,監督の範囲,検査の順序及び価格の如何等を調査し,さらに11月10日を期して見本缶詰を提出することを要請した。また東京府下を始め日本各地に委員を派遣して工場に就いて具体的に検査して製法の良く無い者は,懇切丁寧に指導した結果、今日あるように各地の製造者がその製造能力に応じて,軍需をまかなうようになった。今その製造所を述べると、東京は18,仙台3、名古屋1、京都3、和歌山1、大阪神戸岡山各4、広島6、長崎1を合わせて全国45箇所。
而して,陸軍省が供給を独り関西地方に頼らないのは協議の結果で、牛肉缶詰の製法がよく、価格の適正なものであるならばどの地方でも購入しても良いとしている。
日清戦争時は軍用食料の確保まで準備が十分でなかった。輸入の缶詰から国産に替えたのは表向き国内産業の育成と述べているが、当時においては外貨が軍艦購入に費やされ食料購入に外貨を使うことは嫌われていた。これは綿花の輸入と砂糖の輸入と同じ状況である。綿花は綿布となって外貨を稼ぐが砂糖は専ら国内消費で嗜好品で無駄と思われ、戦費をまかなうため酒税と共に課税された。