年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

時空刑事⑥

2007年06月09日 | 福神漬
朝日新聞社 天声人語:2000年3月6日より

 たしか中身に石ころを入れた缶詰を、第一次大戦のころ日本が輸出した。そう本欄に書いた(2月22日付)。「たしか」と記憶に頼ったのがいけなかった。日本缶詰協会から資料を添えて「そのような事実はなかった」と指摘があった。そちらが正確だ。訂正します。
 ただし、この「石ころ入り缶詰」の話、案外流布している。どうしてそうなったのか。――1926年(大正15年)3月発行の『缶詰時報』に、「石の缶詰」という一文が載っている。広島の缶詰商が、父親の代のころを回想した内容だ。それによると、1894年に始まった日清戦争のさなか、石の塊が入った軍隊用の牛肉缶詰が大連(中国)で見つかった、と新聞が報じた。
 「犯人」と名指しされ、当局から「御用中止」の処分を受けた筆者の父親は、部下を現地に派遣して真相を確かめさせた。事実はまったく違っていた。缶詰を入れた木の箱(函(かん))が大連港で陸揚げされる際、船べりにぶつかって壊れた。はずみで飛び出してきたのが、石の塊と荷造り用の縄。何者かが缶詰を盗み、代わりに石と縄を詰めたのだった。
 これが「石ころ入り缶詰」と誤って伝えられた。「缶」と「函」の混同もあったのかもしれない。しかし、話にはなお尾ひれがつき、明治から大正にかけての豪商、大倉喜八郎のこととして語られた。いち早く電気やホテル業に乗り出すなど先見の明を発揮する一方、強引な商売でも知られた人物である。
 彼は軍部相手に巨万の富を築いたが、その商法は世間から糾弾されることも多く、「大倉の納めた缶詰には砂利が入っている」とのうわさも飛んだ。確認されないまま、それが、歴史関係の一部の本には事実めいて記され、あしき教訓として子どもに教える先生もいたらしい。

 時日をおかず、日本缶詰協会が朝日新聞に訂正を願ったのは缶詰製造の歴史から来ている。多くの不良缶詰で良心的に製造している業者が苦しんでいたこと、製造技術の向上を図っていた歴史があった。福神漬の缶詰も大正時代は様々な不良品があった。
 戦後でもニセ牛缶事件もあった1960年、缶詰めの中にハエの死骸が入っていたとして保健所に届けられた「牛肉大和煮」缶詰を調べたところ、その中身がクジラの肉であったことがわかった。さらに他社の「牛肉大和煮」や「コンビーフ」として売られていた缶詰を調査したところ、ほとんどは中身のすべてまたは大部分が馬肉やクジラ肉であることがわかった。このことがきっかけで「公正マーク」制度が出来たが最近では「純粋はちみつ」がこれに違反していた。

コメント
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