年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

絶滅寸前の渥美沢庵

2012年01月27日 | タクワン
昭和40年代に全国一の生産量を誇った愛知県の「渥美沢庵」は、当時4斗樽に(70kg)で60万から70万タル生産され、日本の漬物業界を席巻した。
 愛知県の渥美半島で生産されていた最高級の「一丁漬」は人気も抜群で、漬物専門店をはじめ、高級料亭、寿司屋向けに良く売れたものである。現在ではその高級沢庵の一丁漬などの渥美沢庵を生産するメーカーもわずか2社程度となってしまった。かつては40社余りあった事を考えると、時代の移り変わりに愕然とする思いである。
 一丁漬は幻の渥美沢庵といっても過言ではない。手間暇かけて漬け込み、乳酸発酵した半年後にようやく製品になって販売される。 
 干し大根原料は前年12月初め頃から漬け込みが始まる。一丁漬の下漬は昔からの方法で、米ぬか、塩、茄子の葉、柿の皮、唐辛子を入れて漬ける。この他、ウコン(黄色く着色する)を混ぜた物も注文で生産している。
 現在、干燥は2週間。生大根を干すと歩留まりは27~28%になる。大根の品種は「漬け誉」を使用しており、大根の長さも揃うので、昔の阿波晩生と違い生産性も良い。製品も今日では消費者の低塩嗜好にマッチさせ塩分は4~4.5%、風味もよくミネラル分豊富なヘルシー漬物に仕上げている。
 大根の干し場は、潮風が吹く最高の場所として昔から知られる田原市・伊川津から江比間海岸に面した地区でハザ掛けしている。なお、漬け込みは1月いっぱいで終了する。
渥美沢庵の歴史
 昭和30年代から沢庵の生産が本格化し、伊勢沢庵につぐ干燥大根の加工産地となり、渥美沢庵ブランドが全国に広まった。生産された沢庵はふすま漬沢庵、昆布沢庵、うめず沢庵、一丁漬沢庵など。タル詰の時代から包装沢庵の時代に移った。昭和50年頃になり、九州本干沢庵が全盛を迎え、それと同時に渥美沢庵が急速に落ち込み廃業が続出した。
 大根産地だった渥美半島は、収入の良いキャベツ、白菜、メロン、電照菊などに転作していったことも産地崩壊につながった。
 また原料大根も九州の干燥大根原料の3倍の価格でも農家は作らなくなった。その理由は競合作物の方が割が良いことが一番の原因である。また近隣にトヨタ自動車工場が出来たことも大いに影響がある。
コメント (2)
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