年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

ナポレオンの缶詰から福神漬・さらに幕末史へ

2016年10月01日 | 福神漬

豊洲の展開が読めないので福神漬のことを再度検証することを10月から始める。

 缶詰はフランスはナポレオンが軍隊用の長期保存に耐える食品の発明に懸賞をかけたことから始まる。当初はビン詰めから始まり、英国で発展し、アメリカに行って爆発的に普及した。発明の本場となっているフランスでは缶詰食品の発達はなかったという。食に関してこだわりのある国では缶詰は普及しないという。

 今福神漬は袋詰めが普通だが明治期に創製された福神漬は上野で開催された博覧会で見た缶詰を取り入れて発売された。

 

缶詰の始まり 明治事物起源 石井研堂著 国会図書館デジタルライブラリ-から

419ペ-ジ

缶詰の始まりは明治3年中、工部大学校雇教師米国人某が、四谷区津の守に住まいて、四季の果物類を缶詰となし、自用に供し居たるを始めとする。当時この外人に雇われ、缶詰製造の手伝いを為したるは、千葉県行徳の山田箕之助と言うものにて、同人の先代喜兵衛(維新の際五稜郭にて戦死す)はかって将軍家の漬物方を勤めしとあり、その家記によれば、寛永年間北条阿波守天草征討の際、軍中に副食物の乏しきより、握り飯には一切黄な粉塩を用い、のち品切れにて胡麻塩の改めるも、これまた不足を告げて、仕方なく大根を細かに切って、味噌溜りに漬けて溜り漬と称し軍用に供した。然るに文化年間露人北海道に乱入したるころ、近藤重蔵氏石狩国紋別に於いて、前記溜り漬を醤油漬に改めるより、これを紋別漬と称える云々とあり。かくして箕之助は。明治7年前記の米国人缶詰方によりて、その紋別漬を改良し、他の野菜類を用いたるこそ、邦人の手にて缶詰を作りたる起源である。同年三井物産会社より、下谷池の端某店に托し、紋別漬200個をハワイ及び米国に輸送したるを以って缶詰輸出の始めとするよし。

 

 数年前この文章から何を意味しているか解らなかったが、今は石井研堂の書いた理由が想像できる。

コメント
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