年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

ナポレオンの缶詰から福神漬・さらに幕末史へ2

2016年10月02日 | 福神漬

石井研堂の明治事物起源『缶詰の始まり』から明治3年の工部大学お雇い教師で米国人とは誰のことだろうか。この明治3年には鉄道開業のための測量が始まっている。四谷区津の守(つのかみ)は今でも地名として残っていて新宿区荒木町で津の守坂などがある。維新期ここには美濃高須藩上屋敷があって高須4兄弟の出生地として知られる。福神漬に関して尾張徳川家の方が尾張本草学の中心地であったせいか気になる。

 なぜ千葉県行徳の山田箕之助がまだ明治の初めに四谷で異国人の手伝いをしていたのだろうか。まだ維新後とはいえ外国人に対して偏見の多い時代で誰かに推挙されたかも知らない。山田の先祖は幕府御用の漬物商人であったので維新後は失業したと思われる。四谷は治安維持関係の下級幕臣が住んでいた気がする。

明治7年、紋別漬を改良し醤油漬にし、缶詰に入れ、三井物産会社からハワイ・米国に輸出したという。明治7年の三井物産は三野村利左エ門の時代(利左エ門は明治10年2月死去・三井物産は明治9年発足)

資料としての缶詰の始まりは誤記が気になり、あまり調査する気がなかった。

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