豊洲移転の先行きが見えない中、再度福神漬の確認作業に入る。
2014年の大学入試センタ-試験の国語の問題で『刀』というものが忠義の精神の現れとみなしていると書いてあった。福神漬に入っているナタ豆は漢字で刃豆と書く。なにか武士道と関連がありそうだが文献は見つからなかった。
センタ-試験の問題で刀が忠義の精神を表していると書いてあった。戯作者梅亭金鵞がただ上野周辺で行われていた七福神巡りから福神漬と命名しただけではないと感じていた。福神漬の命名時期と推測される明治15年以降は自由民権運動が盛んで、旧幕臣の言論家が新聞論説で薩長政府を攻撃し、弾圧されている時期と重なり、まともな表現で抗議が出来ない時だった。
多くの言論弾圧法律で自由民権運動は失速し、福神漬に入っている(なた豆)の比喩としての意味が消えてしまったと思われる。そして明治憲法(明治23年)が発布され、言論は国会に移っていった。