叔父の特攻は5人の仲間と誘導機1機で沖縄嘉手納沖に集結していた米艦船群に特攻した。昭和20年の特攻では米軍の迎撃が準備され、さらに経験の少ない日本のパイロットが多く、殆んどといって良いくらい戦果が無い攻撃だった。叔父の攻撃隊は米軍の記録にも残っていて、USS THATCHER DD514 と検索すれば英文の記録が出てくる。
アメリカでも戦友会が盛んでまだ活動しているようだが戦後74年ともなれば100歳近くとなってどんどん活動の場がなくなっているようだ。日本もアメリカも既に第二次大戦の目撃者は消える時期に来たようだ。
叔父ら攻撃で米駆逐艦は14名即死したようである。簡単な修理でもう少し戦争に参加し、終戦後間も無く、クズ鉄となったようだ。