年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

5月3日南鹿児島市知覧での特攻慰霊祭に参加しました。

2019年05月06日 | 陸軍特別操縦見習士官1期

10年ほど前から知覧特攻基地戦没者慰霊祭の出席案内が届き始めました。これは息子が九州をバイク旅行中に親族から知覧特攻平和会館に叔父の写真があるという話を聞いていたので一度確認するよう指示していた。これは旅費援助の理由としていた。何も詳しい事情を知らない息子は知覧の平和会館で写真を見つけることが出来ず、会館の人に叔父の名前を告げ、探してもらった。間も無く携帯が鳴り、息子が訪問した日は叔父が台湾から出撃した命日だった。この訪問から知覧から毎年慰霊祭に参加するように案内が来ていたが築地の仕事は5月の連休は休みをとることが出来ず、子供を参加させていた。戦後70年の節目の年の九州NHKニュースで娘が顕花するところが放映されて見ていて驚いたという。高齢化した出席者の中では目立ったのだろう。豊洲へ移転し、引継ぎも終わりつつあるので知覧の慰霊祭のヤット参加することが出来ました。

 知覧茶の水は目から出ました。

慰霊祭の内容はまだ心の整理が出来ていないので書けませんが最後に(加藤隼戦闘隊)(同期の桜)を合唱し終わりました。特攻平和会館へ向かう道は青々した桜で散ってしまった人たちの無念が染みる青さでした。

 散りつつあった靖国神社の桜の意味がはじめて理解できました。桜の標本木は死んでしまった戦友の思いの桜で散った桜も意味のある桜と感じました。なぜか学生のとき同期の桜は嫌いな歌でした。

コメント (1)
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