年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

昭和20年5月20日の特攻の違和感

2019年05月15日 | 陸軍特別操縦見習士官1期

昭和20年5月20日の米軍に対する沖縄嘉手納沖に特攻した記録に何か違和感があった。米軍の記録によるとある記録では13機と言うし、また別の記録では5から6機と言う記録のあった。少なくとも台湾から沖縄に特攻した飛行機は6機で13機と言う記述理解できなかった。もう少し調べて行くと5月20日鹿児島知覧飛行場から第50振武隊が13名で出撃している。ところが5月25日に20日の出撃した人が2名再出撃している。28日に1名再出撃している。どうなったのだろうか。差し引き知覧から10機となる。

知覧での振武隊の出撃動画が見ることが出来る。

www.youtube.com/watch?v=p50LxujvnxA

USS Chase (DE-158/APD-54)は記録から台湾からの叔父らの飛行第204戦隊の特攻を受けたようだ。

USS John C. Butler (DE-339)は記録から6機の攻撃と言うことで飛行第204戦隊の特攻を受けたようだ。

USS_Register_(APD-92)は米軍の記録から10機と言うことで第50振武隊によって特攻されたと思う。ただ特攻隊がゼロ戦で無いので正確でないかもしれない。特攻機は陸軍は一式戦闘機隼である。

台湾と知覧から出撃した特攻の狙いは米軍のレ-ダ-探知を混乱させる目的があったと考えれば知覧へ戻った3機の理由がわかる。様々な特攻を調べた本によると昭和20年5月の沖縄戦のあたりでは米軍の特攻に対する迎撃準備が整っていて艦船まで到達することが少なかった。それにも関わらず叔父らの特攻で6隻近くの損傷は文献として信じられなかった。知覧の10機と台湾の6機で初めてこのような戦果があったと思えば納得が出来る。ただ日本の特攻研究者は知覧の第50振武隊の戦果と記述されている。この理由として台湾からの誘導機が帰還しなかったからと思われる。もう少し調べれば当時の状況がわかる気がする。LST808は硫黄島と沖縄戦線に参加し、5月18日日本軍の飛行機からの魚雷で損傷し、修復中に5月20に特攻攻撃を受けて、多分伊江島だと思うが突っ込み沈没を免れた。

 このLST808の最後の状況は7月の配達される本(Death of Lst808 著者William R Bell)で解るだろう。


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