昭和20年5月20日の叔父らの特攻の被害を受けたという貨物船ブラウン.ビクトリ-損傷はどうも誤りのようだ。このビクトリ-型の貨物船は戦時の物資を運ぶため、今の時代でも通用する船体をブロック毎につくり溶接し船にする。量産スピードが早く,この型は第二次大戦が終わっても使用された。このブラウンと言う名前の由来はアメリカの有名大学ブラウン大学から来ている。
記録によると特攻されたのは昭和20年5月28日となっている。
勝てば官軍負ければ賊軍と言う言葉が先の大戦の記録でよくわかる。勝った米軍は記録が豊富で負けた日本は記録が少ない上、敗戦時書類を消去したという。野球の大リ-グの記録を見ていると初期から細かい記録をつけ分析しているようだ。同様なことを戦時にもしていた。米軍艦船は日本の攻撃に対しての復活力がすごい。破壊されても沈没することも無く修復されている。人命の重みを軽視し、飛行時間の多いパイロットを重点的に米軍が狙ったようだ。操縦席の後ろに防弾の板が無いか薄いので操縦者を狙ったようだ。もっとも日本はガソリン不足で特攻と言うことで機体を軽くすることを重点的に考えていたようだ。戦争が進むに従い、慣れない促成の日本のパイロットは改良した米軍機に次々と撃墜された。レーダ-によって探知されたときは特攻の成功確立は少ないように思える。叔父らの特攻訓練は海面すれすれの編隊飛行だったようだ。
先人の行動を分析し、敗北の原因を探り、対策を創るのが普通だが、どうも奇襲攻撃が好きな日本軍は敵が奇襲を予想していると思わないのだろうか。奇襲の通用しない方法をとられると弱い。日清戦争でも砲弾に直接当たり死んだ人より、病死した軍人の方が多い。第二次大戦でも多分同じだろう。餓死、輸送船での水死、医薬品の不足による戦死などなど。