柴犬が3年前から緑内障で片目が失明した。残りの片目が昨年暮れに緊急手術し、一時眼圧が10程度まで下がったが、今また36程度まで上がり、通常値10以下に程遠くなった。一回目の手術は目の中の水分を出すパイプのようなものを入れ目の貯まった過剰な水分(医学用語不明につき)排水するのだがどうやら生体反応があって、目つまりするものが作製され、また眼圧が高くなった。金をかければあと二回ほど手術は出来そうだが、痛々しい手術後の姿を見ると、虐待していると感じる。柴犬なのであと2〜3年に寿命と予想されるので両目を失明してもなんとかなるか話し合っている。親族の秋田犬は大型犬だったので昨年安楽死させたようだ。このことは決断の中には入っていない。勿論失明しても死ぬまで付き合うという事は一致している。問題はその後である。
ペットロスがどれほど酷いかは一度経験している。これを癒すのは新しい犬か猫を迎えるしかない。
犬の眼医者に行く途中に会話の中身を理解しているのか車に乗ったとたんずっと震えている。悲しいけど仕方がない。以前書いたが品川駅前に食肉市場があって処理場もある。生きた牛から牛肉となる。そこへ向かうトラックの荷台の隙間から牛が外を見ている。目が合って悲しそうだった。彼らは品川について命が終わるのだ。知っているのだろうか終わりを。
生き物を飼うことは人生を考えることになる。命の判断はコロナで保健所任せになって、庶民は政府を批判するだけで勝手な行動をしていると感じるがもう限界かも知れない。次の感染拡大は心の制御ができそうにもない。