年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

コロナから見える弱小企業保護策

2021年02月11日 | 宅老のグチ
べったら市の歴史を調べていた時、明治の10年代に日本でコロナの感染が広まり、ラムネがコレラに利くという噂から、非常によく売れた。この噂の出所と日本の掲載している新聞を横浜開港資料館地下の閲覧室で探したが見つからなかった。時間が経って概要は知りえた。それは日本に来る船に真水を積載せず、炭酸水を積み込むという。海上で真水が腐敗するという理由からきている。これがどうも明治日本でラムネがコレラに利くという事になった。その当時はキュウリ瓶と言って、今のようにガラス玉で炭酸の圧力を抑えていない瓶から始まったが、炭酸ガスが抜けやすく、今のようなガラス玉のラムネ瓶にいれて売られた。ところが空き瓶にアリなどが入って洗浄しにくいし、瓶内に残っている砂糖を洗浄しにくかった。この当時の食品衛生の法律では瓶内が濁ると違反となり、前科が付く時代だった。食の取り締まりは今と違って保健所でなく、警察の管轄だった。そのためアメリカで発見され、ドイツ経由でサッカリンと言う人工甘味料が日本に入って、ラムネに使用された。サッカリンの入っていたラムネは簡単な洗浄で瓶の再使用が出来た。これが明治の終わり頃にべったら大根に使用され、甘味料の規制で軍隊と医薬用を除いて食品に使用禁止となった。今サッカリンンの規制のリストにあがっている食品は明治期に使われていた痕跡である。
出典
なぜ三ツ矢サイダーは生き残れたのか
-夏目漱石、宮沢賢治が愛した「命の水」125年-立石勝正著
やっとこの本でラムネがコレラという病気に効果があるという迷信があったということ事実であった事が解った。炭酸水が胃腸病に効いて胃潰瘍の漱石も炭酸水を愛用していたという。
 大航海時代に積み込む水は炭酸水でないと腐敗するので積み込む水は炭酸水だったという。さらに炭酸水は殺菌力があるという。この炭酸水にレモンが入るとラムネとなる。これが明治10年代末頃のコレラ流行時にうわさがでてコレラ予防薬として日本にラムネが普及した。

 長い前置きだが、ラムネとサイダ-の違いは、ガラス玉入りがラムネで瓶を王冠で蓋しているのがサイダーとなり、ラムネは大企業の参入を防いでいる。今度のコロナで飲食店の大企業は給付金で経費が賄えず、かなり淘汰されそうだ。これも一種の弱小企業の保護政策かも知れない。食の世界はまだ隙間が多い。
 1から2店舗の飲食業は給付金で対応し、多店舗展開の飲食店は保険制度(地震保険のような制度)で店舗を救済し、従業員の多くを占める非正規労働者は保険金の給付の対象者とすればよい。これは通勤労災と同じ考えで、勤務の初日に通勤で怪我した時補償される仕組みと同じ考えでよい。今まで大手の飲食店はコロナのような病気の蔓延を想定していなかった。今後は非正規も含める保護策が必要となる。当然外食の安売りは消えるしかない。今でもウ-バ-の料金が上乗せで食べている人がいる。
コメント
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