年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

国性爺合戦が台湾問題で気になる

2024年11月06日 | 宅老のグチ
都営新宿線九段下駅に隣接している、昭和館図書室で能久親王の文献を読んでいた時、北白川能久親王が日清戦争の下関講和条約後に台湾の平定作戦に希望して従軍した。台湾平定で朝鮮半島での戦闘より多くの死傷者を出し、さらに平定間際の台南の地でマラリアに罹り病死した。その後に日本で能久親王がヤマトタケルの神話に似ていることから、台湾に神社を作る建議がありました。この文献は日本統治下の海外神社 菅浩二著に書かれています。ほぼ同時期に台湾の民心を得ようとして、開山神社を作りました。この開山神社は日本の敗戦後に建物が取り壊され、再建しています。1662年に鄭成功を記念する小さな廟の開山王廟として建てられ、日本統治時代には開山神社と改称され、のちに現在の延平郡王祠と改められました。戦後の国民党政府が日本統治下の建物を取り壊し中国風の廟にしたため、遺跡となっていないようです。どうも中国という国は前の統治者の建築物を破壊する伝統があるようです。
台湾神宮跡=円山大飯店(台北市中山区)は今はホテルとなっていて、台湾神宮の面影は消えています。この台湾神宮の映像を昭和館の5階にある映像・音響室の係の手助けで台湾神宮の動画を見ることが出来ました。普通の日本風の神社でした。その動画は昭和19年に台湾人が徴兵にされ、台湾神宮に参拝している様子が見えます。昭和19年は学徒出陣の時で、米軍が台湾付近まで迫っていました。もし沖縄より台湾が先だったら、どのような暦になったのだろうか。あまり考えたくない仮定の話です。

 きな臭い台湾問題はいつ落ち着くのだろうか。国性爺合戦は日・中・台の物語である。
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