年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

昔は馬鹿にしていた医者通い

2024年11月09日 | 宅老のグチ
若い時は高齢者の医者通いを馬鹿にしていた。ある種の高齢者の交友施設とも思っていた時期もあった。今はデイサ-ビスとかの施設で高齢者の交友があって、朝は送迎バスの風景によく出会う。この風景が変わったのは医者の予約制とコロナで待合室での会話の自粛だろう。飛沫感染の知識が共有化され、隙間を開けて座る。会話しない。すると医者の待合室が単なる待機所となり、治療が終わったらすぐ帰る。これに結構待たされた診療費の会計がアッと済むし、カード決済で早い。アマゾン系の処方薬の普及は昔の小売店が消えていく速さより早い気がする。
 アメリカの選挙の結果の評論を見ていると、物価高で家計の苦しさをトランプ支持に出たという。節約の仕方が国によって異なるが基本は出る費用を減らし、収入を確保する。そして最大の日本とアメリカの差は仕事を求めて、移動する。日本はまだ転勤する仕組みは大企業しかなく、中小だと転勤通告は退社誘導となることもある。江戸時代に土地から離れた遊民という人々があった。身分社会から外れた人たちで、芸能・博徒・用心棒等の稼ぎで、武家社会のすき間で暮らしていた。彼らの行動から、武士が苦しくなると身分の売買があって、家制度の継続が見えないことで漬物の様な食の文献探しに苦労している。でも江戸時代の読み書きソロバンの普及が日本の発展を促したと思う。江戸時代から身分制度を突き抜けるオタク文化があって、俳諧と文化で日本全国を旅できるということが不思議と感じる。これは手形制度にも通じていて、信用というものの価値の維持があったからと思う。
 
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