年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

カミカゼの本から交番の交通事故件数

2024年11月21日 | 陸軍特別操縦見習士官1期
近所の図書館でも先日訪問した都立中央図書館でチラ読みした本が借りられた。そこでは根気の続く2時間では叔父の特攻した5月20日の事実の文章の確認で終わった。自分と娘が調べた、知覧からの振武隊と台湾からの叔父達の特攻隊・誠隊の記録があった。
  ただ自分たちの記録では台湾からの出撃は特攻隊員5名と誘導機1機で、この記録が無いし、攻撃による米軍の損害の記録が異なる。
 出だしの解釈の異なりについて、ロビン・リエリーさんと小田部 哲哉さんの文があって、日本とアメリカの解釈が文献の連続性という問題から、今の常識と異なるのを感じる。
 それは日本の町にある交番には前日の交通事故件数が表示されているが、普通の人は気にしないでいるだろう。調べるとこの掲示は規則があって、法令に基づいている。
「交通統計」における用語の定義
基本は零時から翌日の零時までで、死者は事故から一日で亡くなった人。負傷はそれ以外の人。この辺りは知っていたが統計では昼と夜の事故も記録していて、昼の定義で日の出から日没までとなっている。この解釈は江戸時代の一日の和時計と似ている。確かに朝の4時半には6月は明るいし、夕方7時近くでも明るい。北海道と沖縄では昼間の長さも異なる。
 台湾と九州知覧から出撃した一式戦闘機隼は5月20日の夕方午後7時頃に沖縄嘉手納沖に合流し、乱れて特攻したのでどの飛行機が叔父の搭乗機とは判らない。夏至に近いので明るいからもし動画が残っていて、機体マ-クが判ったら判明するかもしれないが今は知りたくない。
 この本の文章は米軍がどう攻撃に対処していたか初めて知った。なぜ日本の特攻機と艦船の機銃との画像しかないのかというと、途中では日米の飛行機で空中戦をしていたが、米船に特攻機が接近すると、米艦船の機銃で味方の米軍機を誤って撃ち落とすことがあって、米軍飛行機は追いかけるのをやめていた。従ってレ-ダ-に感知されない飛行が要求されていて、多くはレ-ダ-に見つかり、3段構えの米軍飛行機に撃ち落されていた。以外に低速な赤トンボという練習機が特攻に成功していたのは布張りで木で出来た機体、海面すれすれで接近していたので米軍レ-ダ-に見つからなく特攻に成功したが積載する爆弾が軽く、被害が少ないし、さらに海面すれすれを長時間孤独な飛行が出来るのはベテラン教官パイロットだったようだ。じり貧の無駄死にともいえる作戦と知る。
 叔父の仲間の7月19日の記録も米軍の被害は軽微となっている。きむらけんさんの陸軍八塊飛行場を巡る物語でも、機体は寄せ集めの部品で飛んで行って、戦果は期待していない様子が見える。


 日米史料による特攻作戦全史 航空・水上・水中の特攻隊記録- 
著者名 ロビン・リエリー著  小田部 哲哉編訳 
著者 Rielly,Robin L./リエリー,ロビン L.  小田部 哲哉編
出版社 東京 並木書房 
出版年月 2024.10 
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