年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

伊勢路の報告

2007年10月16日 | 趣味としての漬物
伊勢路の報告
赤福の騒動の中伊勢に行ってとんぼ返り。鳥羽の駅そばの店は江戸時代の蟄居はこのようであったという雰囲気。同じ食品を扱う我々も呆然とするばかり。来賓の県知事も地域特産物の振興を旗振りしなければならないとは大変。宮崎県知事の勢いで宮崎産大根の沢庵は端境期ができそうな勢いである。地域特産物は地方の雇用も創出している。東京でがんばって売らねばならないと感じた。重い。
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踏み絵か?

2007年10月15日 | 築地市場にて
踏み絵か?
築地市場協会より16年の東京オリンピックの賛同の署名の回覧が来た。市場移転の賛成反対の踏み絵となるのだろうか。さてさてどう説明して回覧すればよいのだろうか?
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伊勢に向かって

2007年10月14日 | 宅老のグチ
伊勢は伊勢商人といって江戸時代は日本橋魚河岸に多くの商人を呼び寄せた、築地市場にも『伊勢』をつける仲卸が今でも多数あります。何か由来があるのだろう。幕末伊勢沢庵の産地となって一時興隆していて伊勢平野の風物詩となっていた。昭和40年代までの話です。
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赤福の件で

2007年10月13日 | 宅老のグチ
赤福の件で
わけ合って鳥羽に行くことになっていて土産に赤福となっていたが急遽休業とのこと。伊勢はどうなっているのでしょうか。我が家に事件女がいて彼女のいくところにはいつも起こらない転変地異が起きます。山形新幹線と車が衝突してことがありました。その新幹線に偶然乗っていました。グアム島に行ったと翌週に最大級の台風に襲われホテルは全部休業、洞爺湖に行ったときはまもなく火山が噴火、長野県の上高地にバスツアーに行ったとき大雨でトンネルの出口が土砂崩れで通行止め、彼女の乗ったバスはほんの少し前通過したため上高地で閉じ込められなかった。
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上野 寛永寺の本

2007年10月12日 | 築地市場にて
上野 寛永寺の本
福神漬の関係があると思われる寛永寺の本を読む。
上野『時空飛行』浦井政明著
福神漬の名付けたと言う江戸末期の戯作者梅亭金鵞は武家の出身で今風に言うと遊び人であった。付き合う人に感化され次第に戯作者となっていった。幕府崩壊で次第に反明治政府の言動をするようになってく。○○珍聞で薩長の明治政府を批判していた。そんな時に反政府色の強い池の端の人々に名前がつけられた。
 寛永寺はやはり幕府びいきの人たちに支えられていた。
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ポスタ-『エサをあげないで』

2007年10月11日 | 築地市場にて
ポスタ-『エサをあげないで』
築地市場協会からポスターが来た。築地市場内の動物にエサをあげないでという。日頃忙しい市場内で愛くるしい犬や猫に密かにエサを与えている人がいる。勿論食品を扱う市場ではご法度であるが休息時に擦り寄る動物は中で働く人々には癒しとなる。
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年金世代と漬物

2007年10月10日 | 宅老のグチ
年金世代と漬物
年金世代は若い人と違ってカロリーをとる必要性が少なく、魚食や米食がまだ幅を利かしている。世界的に穀物相場の上昇でそろそろ米が割安となるだろう。今まで為替相場で苦労していたのが逆に為替相場に助けられる。
 時代の変化は原油価格の高騰と中国経済の爆発的成長によって急速に変化している。築地市場に来る観光客も欧米人から中国系人の増大である。
 年金世代は時間があるので水曜日の開市日に築地に来る良い。いつもと違って丁寧に扱われる。
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石炭化学の亡霊

2007年10月09日 | 築地市場にて
石炭化学の亡霊
明治初期のドイツ化学の進歩で安い化学染料が日本に輸入された。色鮮やかな染料はその毒性の知識がなく間もなく食品のも密かにまたは堂々と使用され、日本各地で食中毒事件を起こした。
 豊洲の汚染も石炭からガスを製造して出来た時の副産物で汚染は予想された。問題はこのことをどう解釈するというかの問題である・地震があったらというが仮に液状化現象がおきて地下水が噴出してもすぐに市場は再開されないだろう。道路・水道等のインフラが整備されなければ再開は無理なのである。
 明治のサッカリン禁止も石炭化学の亡霊によって禁止となった。砂糖業界の御用学者の公演と明治政府の台湾糖業振興政策、砂糖税収確保のためにサッカリンは禁止となった。その当時はまだサッカリンの危険性や安全性の研究が確定していなかった。しかしサッカリンが石炭化学から出て来ていたので危険の可能性があるという予想のもと禁止された。
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豊洲の汚染

2007年10月08日 | 築地市場にて
豊洲の汚染
一昔前ならデータ隠しか改ざんで政治にとって不都合なことは隠されていた。でも今は事実がどうあるかという問題と同様に事実を隠すと言うことが問題となっている。従って、一般の会社でも特に同族の小企業にとって役員会の議事録やその後の行動が必要となる。
 豊洲の汚染も予想していたようにあったが意外と少ない感じがする。また汚染除去工事業者が喜ぶだろう。何が何でも工事したい様子が見える。走り出した公共事業は不要になっても中止に出来ない日本の政治。特に農林水産省関係は関係者が多く、止められない。
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台風11号の遅れた影響

2007年10月07日 | 宅老のグチ
台風11号
2007年9月16日ころ韓国を襲った台風12号の影響がようやく現れて韓国産のキムチが欠品状況になってきた。今年の韓国のキムジャンはどうなんでしょう。高騰した白菜でも韓国内産を使用するのでしょうか。
 キムチの話題が韓国人度を測るに丁度良い気がする。漬物はこんな時平和な無難な話題となる。
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虫の音

2007年10月06日 | 築地市場にて
虫の音
ホンの少し前30度を越えていて朝日新聞の階段状の植え込みやその付近の木々からセミのなき声がしていたら、10月になると急に気温が下がり秋の虫の音が聞こえた。ただ温暖化の影響で銀座の柳の色づきは見えなく青々としている。確か青いまま木枯らしで飛ばされていっていた気がする。
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築地移転反対のデモ

2007年10月05日 | 築地市場にて
築地移転反対のデモ
市場休でない水曜日(10月3日)は暇でのんびり。そんな日に築地移転反対のデモが行なわれるパフォーマンス。年中無休の店対人手不足の休日の少ない築地市場。豊洲の汚染した土壌を現築地市場の古さとの究極の二者択一選択か。追い詰められた魚の仲卸業者の行動と言ってても良い。築地の混雑が客離れを起こしていることも知らない。
 パフォーマンスだって中の事情はそれぞれ複雑でどうなるんでしょうか。色々な圧力があらゆる手段を使ってやってきます。
 築地市場の外周の歩道はホンの少し前までは買出し人の臨時駐車場でした。歩行者の少ない築地でやたらと歩道が広いのはその名残です。駐車違反の取締りは当然で客は築地に来るのを避け場外業者に頼むようになります。買い物籠をぶら下げる人げ電車に乗って来るようになる=大江戸線築地市場前の魚くささということとなる。
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ライトアップ

2007年10月04日 | 築地市場にて
秋の日はつるべ落とし
帰りに浜離宮の横を通るとライトアップしていて、昼の観光客と明らかに質の違い人たちが都心の江戸情緒と汐サイトのビル群を背景として写真を撮っているようです。
 築地市場と浜離宮との境を流れる、いや流れてはいない築地川の端は一応銀座8丁目のはずです。夜は築地市場のゴミが築地川の水面に浮いていても詳細はわからず、意外と綺麗です。電通のカーブしたビル窓が残業中の電気の明かりで照らされて浜離宮の中の背景はどうなんでしょう。日テレまえは夏が終わって静か。
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倉庫整理

2007年10月03日 | 宅老のグチ
倉庫整理
倉庫から使われなくなったパソコン関連の機材の整理。早すぎる進歩は不要な物が増大する。ウインドウズ95の時代が大昔のようである。倉庫の中から昔の集合写真。団体旅行の盛んな時代の写真。団体客によって繁盛していた観光地の旅館の衰退が目に浮かぶ。箱根の山も韓国人や台湾・香港・華南の人々によって支えられる時代がきた。築地も同様になるのも間もなくか。
彼等は漬物は食べない。
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昭和3年10月16日読売新聞

2007年10月02日 | べったら市
昭和3年10月16日読売新聞
あさ漬の買い方は
素人にはむずかしい
そろそろあさ漬が出始めました。このあさ漬は関西地方にもいくらかはありますが東京人の特に好むものです。漬け方を簡単に申し上げると、まず大根を洗って日に乾して、一寸水分を取り、やわらかくなったらば軽い塩漬にします。塩気が付いたならば麹に漬け込みます。これで一週間すると丁度食べ頃においしくなります。おいしいまずいということは塩の加減、麹の加減によりますがこれは経験から知るとして、一番困るのは陽気です。漬けている間に急に寒くなったり、又温度が上がったりしたならば一晩で皆すっぱくなってしまいます。
 麹を倹約するために塩は少なくしておいて砂糖を入れることをします。酷いのになるとサッカリンを入れて甘くするということもあったので、これは警視庁で厳重に取締っています。あさ漬に用いる大根は主に練馬大根ですが特にあさ漬によいのは十一月二十日位から後ででないと出ないので、初めは珍しいというだけでおいしくは無いのです。
 漬物の中でもあさ漬は特に厚く切って食べますが、これは味が薄いものですから特別包丁の香りが付きやすいからです。次は買う場合の注意ですが,困ることには素人には良い悪いの見分けはほとんどつかないのです。信用のある店から買うより仕方が無いでしょう。現在の値段は百匁18銭位から、上等は24銭位です。

昭和に入ると新聞記事の『浅漬』から『あさ漬』に変った。また昭和の初めには砂糖が国内自給となり再びサッカリンの取締が厳しくなった。

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