年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

メイスト-ムの雨

2018年05月03日 | 築地市場にて

5月の雨はやさしかった。大方の連休用の荷物の整理が終り、片付いた時に雨。助かった。それにしても築地は混んでいない。3日は開市でいつも素人が築地市場を徘徊する。3大難関の内、正月.五月の連休の荷物が終わる。後は開き直って整理するだけ。

人生にけじめの日があるとすれば今日がその一日かもしれない。一区切りがついたようでさっぱりした。憲法記念日の右翼の街宣車の音も聞こえない静かな築地市場。午前10時頃から晴れ。正月も五月も天気に助けられた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

キムチも影響があるのだろうか

2018年05月02日 | 宅老のグチ

戦争危機のあった韓半島で漬物のキムチはどのような影響があるのだろうか。ちょっと前は韓国大統領にも期待できないしこのまま行くかも知れないと思っていた。世界の情勢は動いている。予想も外れが緊張緩和が目立つようだ。核は使えない兵器で使用したらおしまいである。

 まだどの様な経過があるのだろうか。いずれ政治の影響が漬物に現れる。前も書いたが節操感が感じられない漬物業者の産地として北はあるのだろうか。野菜の産地という歴史は知らない。工業地という戦前の歴史があったようだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

汐待ちの行徳

2018年05月01日 | 福神漬

近世利根川水運史の研究/渡辺 英夫著から

水戸藩の藩領地から江戸の藩邸まで必要物資は利根川水運を使って運び込んだようだ。

江戸と行徳を結ぶ小名木川で汐待ちで停泊すれば、密輸送の疑いが薄れる。藩船や農民等の船でも自己荷物の輸送・販売し収入を得ていた。この情報を浦賀奉行所の与力中島三郎助は知っていたのだろう。水戸藩の印を掲げれば浦賀の船は便利となる。

 中島三郎助文書の附書で浦賀での塩問屋援助の経緯がわかったこれで行徳の漬物業者との接点が見えた。だだ武士でない人たちの記録は中島三郎助文書には出てこない。士族とそれ以外は記録に残らないのだろうか。行徳で生産された塩の品質は瀬戸内で生産された塩に比べて品質が悪く、ニガリ分が多い。ただニガリは豆腐作りには必要で行徳の塩を再精製してニガリを必要とするところもあったようだ。

 明治の終りに塩が専売となり浦賀の塩業者が消えてゆく。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする