入院となった。ただコロナでないようだ。腸閉塞のようた。当分点滴、、
睡眠妨害の地震で眠れず書くことにした。
東京の梅の花が咲き誇っている。白加賀という品種の白梅に鼻を超接近させて、嗅ぐが臭いが感じない。嗅覚の劣化か、またまたコロナの先触れかはまだ解らない。花粉症のような鼻水でティッシュの消費が夜間に多い。昼は殆ど使用しない。今日の歩数稼ぎはコロナ下の営業している店舗の外部視察にした。新築のマンションの引っ越しが目立った。この時期引っ越しした人は昨年のコロナ以前の契約だったのだろうか。晴海の選手村跡地のマンションは海に近く、塩分で外壁が住まないうちに劣化する。豊洲の市場で延期されたため、水道管内の水が腐敗するので移転時は臭いが消えるまで流すように指示された。
人間の五感で嗅覚が一番早く感覚が消える。従って昔のトイレでは入った時は臭いと思っていても、すぐに嗅覚がマヒして臭いをを忘れる。睡眠時の有毒ガスで死去するのはこの様な理由だろうか。
もうじきタクワン漬の資料調査で香道の所を訪問したいのだが嗅覚がマヒしていたら、香を楽しむことは出来ない。どうなるやら。
必要な用があって、池袋のサンシャイン通りを歩いた。喫茶店のような感じがしていて、道路わきの半地下に個人用スぺ-スのあるのが見える。区切りのある所で、ノートパソコンを操作している人が見えた。六角形の蜂の巣でエサを待っているサナギのように見えた。頭が黒く、みんなパソコンを操作しているので見えた。リモ-トワ-クだろうが池袋まで来ないとできないのだろうか。何かおかしい。
昼時だったので飲食店が混んでいた。店内は空いているのだが外は順番を待っている人で三密となっている。
帰りにさくらトラム(都電荒川線)に乗り、庚申塚駅で降り、巣鴨の地蔵通りを通り抜け、巣鴨駅まで歩く。年寄りの東京の聖地と言われるが4の日でないので閑散としている。年寄り向けの靴屋が気になった。やはり歩くには靴が大切なようだ。今日の歩数は12000歩。
柴犬の治療時間の隙間に、近所にあった五島美術館で茶器の名物の展覧会があることを知った。電車は怖いので歩いて、人のいない所を歩き、五島美術館へ行った・1000円。庭と富士山付きならと思っていたが、二子玉川の楽天本社のビルで富士山が庭園から見えない。先日、五島美術館の関係者が大井町線の陸橋上で富士山の写真を撮っていた人がいた。もしHPで富士山の絵があったら、美術館の庭園内からとったものではない。
茶道に関心があったことは無いが、つごうにより、名物の基礎知識を得るために訪問した。いずれ役に立つだろう。帰りに二子玉川駅に近い出口から出る。その後、一昨年出水した野毛の町を歩く。災害時水位がかなり高く、2019年10月12日の台風で東京都市大学の図書館が水没してもおかしくない。等々力渓谷をみて田園調布駅まで歩く。合計2万歩。
べったら市の歴史を調べていた時、明治の10年代に日本でコロナの感染が広まり、ラムネがコレラに利くという噂から、非常によく売れた。この噂の出所と日本の掲載している新聞を横浜開港資料館地下の閲覧室で探したが見つからなかった。時間が経って概要は知りえた。それは日本に来る船に真水を積載せず、炭酸水を積み込むという。海上で真水が腐敗するという理由からきている。これがどうも明治日本でラムネがコレラに利くという事になった。その当時はキュウリ瓶と言って、今のようにガラス玉で炭酸の圧力を抑えていない瓶から始まったが、炭酸ガスが抜けやすく、今のようなガラス玉のラムネ瓶にいれて売られた。ところが空き瓶にアリなどが入って洗浄しにくいし、瓶内に残っている砂糖を洗浄しにくかった。この当時の食品衛生の法律では瓶内が濁ると違反となり、前科が付く時代だった。食の取り締まりは今と違って保健所でなく、警察の管轄だった。そのためアメリカで発見され、ドイツ経由でサッカリンと言う人工甘味料が日本に入って、ラムネに使用された。サッカリンの入っていたラムネは簡単な洗浄で瓶の再使用が出来た。これが明治の終わり頃にべったら大根に使用され、甘味料の規制で軍隊と医薬用を除いて食品に使用禁止となった。今サッカリンンの規制のリストにあがっている食品は明治期に使われていた痕跡である。
出典
なぜ三ツ矢サイダーは生き残れたのか
-夏目漱石、宮沢賢治が愛した「命の水」125年-立石勝正著
やっとこの本でラムネがコレラという病気に効果があるという迷信があったということ事実であった事が解った。炭酸水が胃腸病に効いて胃潰瘍の漱石も炭酸水を愛用していたという。
大航海時代に積み込む水は炭酸水でないと腐敗するので積み込む水は炭酸水だったという。さらに炭酸水は殺菌力があるという。この炭酸水にレモンが入るとラムネとなる。これが明治10年代末頃のコレラ流行時にうわさがでてコレラ予防薬として日本にラムネが普及した。
-夏目漱石、宮沢賢治が愛した「命の水」125年-立石勝正著
やっとこの本でラムネがコレラという病気に効果があるという迷信があったということ事実であった事が解った。炭酸水が胃腸病に効いて胃潰瘍の漱石も炭酸水を愛用していたという。
大航海時代に積み込む水は炭酸水でないと腐敗するので積み込む水は炭酸水だったという。さらに炭酸水は殺菌力があるという。この炭酸水にレモンが入るとラムネとなる。これが明治10年代末頃のコレラ流行時にうわさがでてコレラ予防薬として日本にラムネが普及した。
長い前置きだが、ラムネとサイダ-の違いは、ガラス玉入りがラムネで瓶を王冠で蓋しているのがサイダーとなり、ラムネは大企業の参入を防いでいる。今度のコロナで飲食店の大企業は給付金で経費が賄えず、かなり淘汰されそうだ。これも一種の弱小企業の保護政策かも知れない。食の世界はまだ隙間が多い。
1から2店舗の飲食業は給付金で対応し、多店舗展開の飲食店は保険制度(地震保険のような制度)で店舗を救済し、従業員の多くを占める非正規労働者は保険金の給付の対象者とすればよい。これは通勤労災と同じ考えで、勤務の初日に通勤で怪我した時補償される仕組みと同じ考えでよい。今まで大手の飲食店はコロナのような病気の蔓延を想定していなかった。今後は非正規も含める保護策が必要となる。当然外食の安売りは消えるしかない。今でもウ-バ-の料金が上乗せで食べている人がいる。
天気が良いので人のいない時間に12KM歩いた。20KM程度歩ければ震災時に自宅に歩いて帰れる。マラソンは42Kだから日本橋から保土ヶ谷までとなる。箱根駅伝距離。一里は3.927Kだが江戸時代はどのくらいの早さで一般人は歩いたのだろうか。川越えがあるので今とは違うだろう。記録を読んでいると通勤の時はかなりの距離を歩いている。多分毎日では無いと想像する。
今日の歩きで気が付いたのだが、不動産屋の駅から5分とかいう案内は分速80Mという事で、時速にすると4.8KMとなる。ところが今日のデ-タだと時速4.4KMくらいで歩いている。昼間に歩いているのは通勤でない中年に差し掛かった女性が多く、背も低い。大抵5CMくらい低い人が次々と私を追い抜いて駅へ向かって歩いている。昔は男性に抜かれても女性に通勤時間に抜かれたことは無い。今は仕事で歩いているのでなく、増えてしまった体重を落とすための歩きで急ぎではないが次々と抜かれるのはなぜだろう。だらだら歩いて2時間半の歩きだった。
抜いていった女性の足の長さは普通で、見ていると足のピッチが自分より少し早い。それに昼間はスニ-カーのような靴で歩いている人が早い。日本人は比較的早く歩くというが、アジアの世界では遅いという。
東アジア地域包括的経済連携(RCEP)の協定からふと考えた。あれ戦前の日本軍部が考えていた東洋経済自立思想による欧米列強からの解放と似ている。
WHOのコロナ視察団の武漢での調査は戦前の満州事変の発端となる柳条湖事件 は鉄道爆破から始まる。この時の国際連盟のリットン調査団とWHOの調査団が似ている。日本軍はリットンらの調査を接待漬けにし、国内では日本の行為が正当であると宣伝していた。今中国でWHOの調査が中国国内でコロナの中国発という事を否定しようとしている。学問的発祥地と我々の考えている発祥地意識が異なっている。どこで病気が出たことが今は問題ではない。過去も未来も新規の感染病は出るだろう。
発展した中国国民が自国の中で秘密裏に広まった感染病が準備の出来ていない国を苦しめる。これは蒸気機関の発達で人力から機械の力が勝った西洋文明と拡大と似ている。極東の日本はこの影響が最後であったためで、植民地とならないで済んだ。今度のコロナのワクチン外交で中国の影響が広まるがこれは諸刃で時にはアフリカなどの経済力の発達が遅れ、いずれ中国へ黒人等の経済難民の流入もあるだろう。既に広東周辺の雑貨の町にはアフリカ系の商人集団が居住している地域もあるという。これはイギリスの悩みと同じで、いずれ中国にこの問題が生じる。アフリカに住んだり、旅行する中国人が旅先で人質となることもある。この処理はまだ中国は慣れないだろう。
しぼむ日本は何処へ行くのだろうか。見ざる聞かざる言わざるは衰退日本を促進する。何かコロナが加速しているのは精神的鎖国かもしれない。出る釘は打たれる。年寄りはチョットのでっぱりで倒れ、骨折し寝たきりとなるがなかなか死ねない。
柴犬が3度目の手術が終わった。12月末の手術から一月も経っていないで再度の手術となった。前回は目にパイプのようなものを埋め込む手術で眼圧を下げる目的があった。しかし自己修復能力が勝って、パイプが目つまりしたようで、再び眼圧が上がった。今度はレーザ-手術で目の中に入る水分のようなものの出入り口を封鎖するという。しかしうまくいったか行かないかは少し経たないと解らないようだ。今回で眼圧が元に戻っても、眼圧を下げる再々手術はしないと決めた。すると次の手術は義眼の手術となり。両目失明となる。まだ嗅覚があるとはいえ不自由だろう。調べたら今までの部屋の障害物となる物の位置を変えないとある。数日で慣れるという。人間でも真っ暗な夜中に手探りでトイレに行く。同じだろうか。
今週も術後の経過観察で犬の送り迎え。通っている犬の眼科医院の駐車場は外車と大型車で埋まっていて、小型車で送り迎えしているが、愛情だけはたっぷりで大切に思っているので気にはしない。目から糸のようなものが出ていて、抜糸してエリザベスカ-ラ-が外れるのはもう少しかかるだろう。2月の日程は犬の回復具合で決まる。一陽来復。梅の花が五分咲きで迎えている。
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柴犬は緑内障になりやすい犬種と病気が出てから知った。幸か不幸かアニコムと言うペット保険に入っていたので、ためらうことなく手術の決断となった。それでも短期の手術の繰り返しと術後の定期健診で眼圧の数値の上下で家族は一喜一憂となった。当然コロナ解除後に行く予定していた旅行費用は手術代で消えた。日頃寒さで外出がおっくうになっていたのも犬によって起こされ、雨天時を除くと毎日二回外に強制的に出る。ためらって家にいると催促してくる。玄関にあるリ-ドの綱とこちらを交互に見て、催促する。それでも無視すると吠える。コロナの謹慎中はこれで気がまぎれた。フランスでは外出制限が罰則付きだが、食と薬局への外出は許され、それに犬の散歩が加わるという。犬の散歩はコロナに勝つ。
術後の眼圧は12とか。レーザ-で目に入る水分の入り口を焼いたようだ。手術前は46だった。
土曜日午後、飼い犬の柴犬のたった一つある目の手術となる。前回の手術で一時眼圧が10程度まで下がり、期待したのだが自己回復力で手術した目の水分を排出する部分が修復され、また目つまりを起こし再手術となる。今度はレーザ-治療となるがどれだけ治るのだろうか。その次の手術は失明手術となりそうで経過観察も不安だ。盲道犬でなく人が導かないと歩けないのだろうか。
手術する病院から離れて、電車の線路をまたぐ道路から多摩川の川越しに青空の中に白い富士山が見えたが気分は暗い。
柴犬が3年前から緑内障で片目が失明した。残りの片目が昨年暮れに緊急手術し、一時眼圧が10程度まで下がったが、今また36程度まで上がり、通常値10以下に程遠くなった。一回目の手術は目の中の水分を出すパイプのようなものを入れ目の貯まった過剰な水分(医学用語不明につき)排水するのだがどうやら生体反応があって、目つまりするものが作製され、また眼圧が高くなった。金をかければあと二回ほど手術は出来そうだが、痛々しい手術後の姿を見ると、虐待していると感じる。柴犬なのであと2〜3年に寿命と予想されるので両目を失明してもなんとかなるか話し合っている。親族の秋田犬は大型犬だったので昨年安楽死させたようだ。このことは決断の中には入っていない。勿論失明しても死ぬまで付き合うという事は一致している。問題はその後である。
ペットロスがどれほど酷いかは一度経験している。これを癒すのは新しい犬か猫を迎えるしかない。
犬の眼医者に行く途中に会話の中身を理解しているのか車に乗ったとたんずっと震えている。悲しいけど仕方がない。以前書いたが品川駅前に食肉市場があって処理場もある。生きた牛から牛肉となる。そこへ向かうトラックの荷台の隙間から牛が外を見ている。目が合って悲しそうだった。彼らは品川について命が終わるのだ。知っているのだろうか終わりを。
生き物を飼うことは人生を考えることになる。命の判断はコロナで保健所任せになって、庶民は政府を批判するだけで勝手な行動をしていると感じるがもう限界かも知れない。次の感染拡大は心の制御ができそうにもない。
最近知り合った人は高齢者が多く、メ-ルもあっても字が小さいと言われ、下手な字を印刷し、さらに太目の文字にして出す。さらに電話は詐欺除けの留守番電話設定の様で、やむなく封書で出す。ビジネス用の大型の封筒で分厚い。切手は買い置きがないので、散歩がてら郵便局の歩数稼ぎのハシゴ歩き。今日は晴につき歩数が進む。でも閑なので口ふさぎの食べ物で摂取カロリ-がマイナスになることは無い。駄犬の目の病気で日程が立てられない。確定申告の書類集め。政府がスマホ申告を進めているが、何か節税する制度にならないとマイナンバ-と共に進みそうにない。
天気は良いが気分はまだ冬。
小児と働くことが出来ない人がコロナで困っている。過去に真面目に税金を支払っている人の不満が貯まる。節税・脱税の指南もある。今度のコロナで不都合な真実が見えてきた。一律給付は多くの臨時雇用で成り立っている仕事が消え、長期の自粛で企業の体力がそがれ大声を上げる生活困窮者と行政の給付金長者を産んでしまった。仕事をしない方が収入が多いという。これも税金を取るだけの仕組みで法人のように個人も損失補填する仕組みが無いと生きては行けない。個人損金という考えで、過去に納税した税金を還付する仕組みを設け。詐欺師の介入を避けるため、マイナンバ-登録の金融機関に自動振り込みする仕組みを作らないといけない。過去の納付した税金の補填期間は10年程度でよいだろう。
江戸時代は飢饉のとき、町内で貯めていた資金を出して米を買っていた。個人でも過去は固定資産税が前期前納と言う制度があって、少し金利分安かったが、ケチな財務省の役人がこの前納制度を廃止した。今度のコロナで財政が不足することは確実なのに給付金で貯金が増えている。金利が付かない普通預金のようだ。そこに翌年以後の税金の前納と言う制度を創り、1%程度の値引きがあれば結構過剰資金を吸収できると思う。まあ予定納税の長期版と考えればよい。または源泉徴収の個人版ともよい。
二月になればと自粛も終わり、出かける予定を立てていたが、予定地はすべて戸締り状態で、人気のない所と時間を選んで太目となった体を使う。
近所では梅のつぼみが大きくなって咲きそうだ。昨年は暖冬で和歌山の紀伊民報の記事で開花が異常に早かった。例年2月11日から南部の梅まつりがあるが11日はほぼ満開でミツバチが間に合わないと心配していたが夏の情報では記録的不作と言う。コロナで人の移動が減り、様々な支障が出たが地球温暖化の速さとミツバチの活動時期の差があるようだ。ミツバチは太陽と距離を測って行動しているという研究があったようだ。太陽の位置が同じでも気候は温暖化している。
8年ほど前に行ったミャンマ-でクーデタ-があったようだ。あの時、軟禁中のスーチ-さんの住居の前で記念撮影した。またその住居で軟禁と言う。チェックしていたのだが当時案内していた人のス-チ-さんへの過剰期待が危険だなと思っていた。最初は過去が酷くて、進まなかったが日本の工場団地は稼働したが他の案件は予定通りに行っていないようだ。途上国特有の利権問題があって、根回し日本は無理と思っていた。これから中国寄りとなるが国境地域の少数民族は麻薬問題があって、中国も難儀するだろう。ただ道路と鉄道の開発が進むと急速に発展するかもしれない。今は思想より、利権の争いと見たい。中国でも思想とお金が対立が表面化して、軍事にお金が負けた形となっている。軍人になるのは今は金もうけの手段でその辺の判断は難しい。