『やんちゃジジイ・ゆうちゃん』のイカすセカンドライフ

我儘で『やんちゃ』な爺さんの目標は、
周りに笑顔を振りまいて、楽しくセカンドライフを生きる事。

お坊さんの講和より・・・

2009年11月08日 | Weblog
今日はオヤジの27回忌。
最近は、我家のように3と7の付く法要を執り行う家族は少なく
今回のような27回忌の法要なんて、殆どやらないそうだ。

仕事の関係で豪州から帰国している姉を含めた兄弟4人。
兄夫婦に娘夫婦、長男、弟夫婦に娘二人、我家は長女が部活で欠席。
それにお袋と姉貴を加えて、総勢14人。
最低でもこれだけの人間が揃うのだから我家は良いのかな?

お坊さんの話、いわゆる講和が興味深かった。
普段は読経、焼香の後に講和が有るのだが、今日はいつもと違って
お坊さんがオヤジの位牌を手にして、それを祭壇に乗せる処から始まった。

法事などの供養には二種類有って、
物によって供養する事供養(多分、こんな字だと思う)と
故人の事を思い出したりする事で供養する理供養とが有るらしい。
また理供養と言えば心構えのこと、事供養と言えばそれを形に現すことで、
事と理の二つが揃ってこそ本当の供養となるそうだ。

そういえば理事と言う役職名が有るけれど、
これも仏教的には理と事の二つを見極めて共に行うこと。 
要するに、しっかりした心構えのもとにやるべきことを
着実に実行する事が求められていると言うことなのでしょう。
そうじゃない人が、世の中に多いのも気になるところですが・・・・

仏教用語で言う娑婆(現世)では、物が喜ばれる。代表的なのが金。
ところが、あの世に行ってしまうと物は全く用を成さない。
現世に居る人間が、故人を思い出すことで、供養される。
法要と言うのは、皆が集まってその思いを大きな塊にして
あの世に送ることで、一層供養されると言う話。

何時も故人を忘れずに思うこと、時間が経つと嫌な思い出は
どんどん無くなって、いい思い出だけが残ってゆくもの。
オヤジが亡くなって早くも26年。
法要を小まめにやって、いまだに兄弟がしっかりと、
生前のオヤジの事を忘れないようにして、集まって居る事を
あの世に居るオヤジもきっと喜んでくれているでしょう。
コメント
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