早いもので東日本大震災が発生して、もう14年が経過した。
今年の大船渡は、山火事で再び被災者が出ているので、本当にお気の毒です。
震災後の被災地に初めて出向いた時は、福島から北の沿岸は瓦礫の山でした。
車で行くにも、道が無かったりで大変でした。
車で行くにも、道が無かったりで大変でした。
陸前高田の街や大船渡の中心地は、まるで別世界に行った感じがした。

陸前高田駅のあった場所は2年後の2013年でもこんな感じでした。
奥の山や、建物の手前に高台のように見えるのは、
全て片付けられた瓦礫を積み上げて出来たものです。

奥から海岸方向に見える黒い山も、瓦礫の積み上がった山

海岸近くの道の駅も2年後もいまだに壊滅状態でした。

大船渡の中心地も何もない街のまま、何とか道路が走れるようになっていましたが
写真の右側が元の土地で、道路は1mほど盛った土の上に作られていました。
高台から見た大船渡の街は

2013年はプレハブの建物が建っていましたが

2014年には少しずつ整備され、海側の奥の方に建物が増え

2018年には道路も整備され、元鉄道の軌道はBRTの専用道路になって、
その向こうには、写真右奥にあるホテルルートインが建っていました。
2012年から被災地支援として大船渡へ出向く活動を続けていたのだけれど、
数年後には支援物資を独り占めしたり、施しをされるのが当たり前といった、
支援慣れした地元の人が出て来たりで、凄く嫌でしたね。
被災地のお年寄りを楽しませようと、私費を投じて開催したイベントを、
フェイスブックでちょっと注目されて有名人気分の人に
『自分を通さなかった』という理由で妨害されたり、
僕がそれを無視したら、今度は有りもしない誹謗中傷を僕がしたという事を広められ、
挙句の果てには、いつの間にか僕が悪者にされていたのが判り、
馬鹿馬鹿しくなったのと、手伝ってくれた人たちに申し訳なくなって、
2019年を最後に、8年続けた復興支援活動をやめました。
被災者の方の気持ちを考えると、判らないでもないですが
東北で遭遇したような変な人が、必ず現れる。
それは東京でやる防災訓練でも
『一人1個』
と言っているのに、家族の分もと言って貰って行く人が居ますからね。
そんな事を目の当たりにすると、もう個人的に支援する気力が湧きません。
それでも、大船渡で知り合った多くの人への思いは変わりませんけれど、
頑張れ!としか今は言えませんね。