6/21 いよいよ北海道を離れる日が来た。
ふる川をチェックアウトし洞爺湖へ向かうが、あいにくの雨模様。
19:00発のフェリーで帰るので、ゆっくり観光する気にはなれない。
周辺の地図を見ていたら1977年火山遺構公園が近くにある。
行ってみよう!
洞爺湖園地から温泉街と反対方向に進み、レストハウス梓の横の道を上がって行く。
広い駐車場はあるが、他に人影はない。
大きく傾いた建物は元病院。
前兆地震発生後、院長の判断でいち早く避難を開始し、
入院患者230名を無事に避難させたという。
前兆地震から32時間で噴火という短時間での出来事に大混乱したが、
スタッフの奮闘、壮瞥市の協力で無事に搬送が終了。
噴火を知っている、経験している人の速やかな対応で人的被害はまぬかれた。
断層上に建てられていた病院は、噴火後数日で建物にヒビ割れが始まり
2~3ケ月後には徐々に倒壊していき、2017年、噴火から40年後の今、
写真のように建物の左側は地面に埋もれていた。
島原の土石流被災家屋保存公園でも自然の脅威をみせつけられた。
この後、道の駅とうや湖で新鮮なアスパラを見つけ、買って帰りたかったが
フェリーに40時間も乗る事を考えたら、これは諦めた。
往路の新日本海フェリーは苫小牧東港に着岸し、市内までは結構時間がかかったが、
太平洋フェリーが出港する苫小牧西港は市内から近い距離にある。
同乗者は車両と一緒には乗り込めない。
待合室にある土産物売り場にじゃがポックルが山積みになっていた。
網走の道の駅で見つけ、いくつか買っていたが、もう少し買い足す。
製造日もこちらの方が新しい。
途中で買う必要はなかった。
演習を終えた自衛隊員が多数乗るようで、売店は彼らの買い物で大混雑。
2捜のダグボートに引かれ岩壁を離れるいしかり。
19:00出港。
仙台へは翌日の10:00入港、12:50出港し、名古屋へは
翌日の10:30到着。
約40時間の船旅。
ふ~長い。
時間がかかり過ぎるので、このフェリーを利用する気はなかったが、
乗った友人の「下りたくなかった、もっと乗っていたかった。」この
ひと言で乗ってみよう・・・と、ネット予約。
割引の大きい早割プランでは残念ながら個室はもういっぱい。
S寝台で予約していたが、この大部屋で40時間を過ごすのは辛い。
当日個室に空きがあったので船内で等級変更。
ツインの1等洋室。
海は見えないインサイド。
正面の入り口を入ると、クローゼットと反対側にトイレ・シャワールーム。
非力な電気ケトル。
これでコーヒーも飲めるから文句は言えない。
煎茶とほうじ茶が数本。
トイレはウォシュレットではない。
シャワールームも狭いので、結局一度も使わなかった。
ネグリジェ、タオル、バスタオル。
風呂は入港30分前まではいつでも入れるので、狭い
シャワーは使う必要がなかった。
しかし、仙台港入港まではよく揺れたので、入れない時もあった。
展望大浴場
浴槽の湯は、いつ行ってもきれいだった。
ランチビュッフェの私のプレート。
40時間の乗船となれば何度か船内のレストランで食事をしなくてはいけない。
朝・昼・晩と全てビュッフェ形式。
夕食@2000 朝・昼@1000
食券を手にレストランへ入って行く自衛隊員やツアー客が羨ましい。
結局、昼x1 朝x1 のみレストラン利用で、それ以外はスナック
コーナーなどで済ました。
こちらは朝食。
この歳になればそう食べられるものではない。
若い男性の自衛隊員と同額なのは文句言いたいよ。
でも味はまずまずで、往路の新日本海フェリーよりもずっとおいしかった。