「3.11大震災」あれからあっという間に1年が過ぎて、連日、テレビ・新聞などのマスコミ報道が特番で追悼式や被災地の今、復興へのみちなどを伝えているが、改めて復興への期待と被災者の悲痛な思いを聞き、心が痛む思いを感じていました。
一周年という節目を迎えて「3.11」は、日本人にとって忘れられない・忘れてはいけない日であるが、報道を見ていると復興への道筋が未だ見えずに、次々と課題が見えてきて心が痛むばかりである。
震災被害状況は、今朝の新聞によると、死者約1万6千人、行方不明者約3千人、避難者34万人と想像を絶する多くの被災者であるが、一日も早い復興を望みつつ厳しい日々を送られているそうで、何とも辛い思いである。
もっとも復興への妨げになっているのが、2200万トンという途方もない瓦礫が山となっており、その処分された量は僅か6%だという。
瓦礫処理は広域処理すると言われているが、受け入れ側が見つからず、先に我が神奈川県では、受け入れ方針を決めながら、地元への説明会では地域住民の怒号が飛び交い建設的な意見交換すら無かったようで誠に心寂しい気持ちだった。
広域処理方針については、総論賛成ながらイザ各論になると我が町は受け入れ拒否で、日本人の心はどこへ行ったのだろうか?と憂いを感じる人は少なくないと思う。
復興を進めるには、これ以上放置できない状況だと思うが、進まぬ要因は風評被害と不信感ではないだろうか?
暴論かも知れないが、都道府県へ一定の基準により処理を割り当てることも必要ではとさえ思う毎日であるが、被災地を切り捨てになることだけは避けねばならず、政府の強い指導力が必要であろう。
あの壊滅的な打撃を受けた戦後の復興も、日本人の強い力が為し得た結果だと思うが、今の状況は、同じ気持ちになっているとはとても思えず、復興へ思いと現実とのギャップは大変大きいのではないだろうか?
大震災以来、我々の周辺でも自主防災会への期待が高まり、 「自分たちの安全は、地域で守る」と、動き出してはいるが、形は出来ても参加意識が低く、魂が全く感じられない状況が続いている。
「絆」・「がんばろう・日本」など、震災をきっかけに人と人の繋がりの重要性が叫ばれているが、希望を胸に今こそ痛みを分かち合い日本の本当の力を結集しなければならないときであろう。