夏の甲子園目指し、高校野球新潟県大会決勝。
2年ぶり11回目の出場を目指す中越高校に対するは、初の甲子園出場を目指す新発田高校。
公立高校の新発田高校がその晴れの場に、60年ぶりに進出した。
新発田高校は、息子の母校である。
だから、息子は、職場の理解もあって(?)休みをとって、新潟市・ハードオフエコスタジアムに応援に行ったのだった。
しかし、今まで3試合連続で完投していたエースが今日は控えだったということもあり、3回に中越高校に先取点を許すと一気に3点を取られてしまった。
後手に回ると、場慣れしていないチームは、ミスが出やすい。
ミスが出ると、それが失点に結びつく。
エースを3番手で起用したが、ミスもあって6回に2点の追加点を奪われてしまった。
その後も、送球ミスなどが出て、点差が広がった。
結局、新発田高校は、1-10の大差で敗れてしまった。
初の甲子園出場はならなかった。
惜しかった。
新発田高校は、甲子園のグッズを販売するシャープ産業の元社長、故小林勝喜氏の母校である。
もっとも、出たのは旧制中学の新発田中学であるが。
シャープ産業は、日常阪神タイガーズのグッズを販売していて、春と夏の甲子園大会の時には、高校野球の出場記念グッズを作り、販売している。
それは、今も変わらない。
だから、甲子園―小林氏と縁のある新発田高校に出場してほしかったという気持ちがある。
だが、現実は、そう甘くはない。
中越高校は、昨夏の決勝で日本文理高校に敗れ、甲子園出場を逃していた。
その悔しさをばねにして、今回の優勝をつかみとった。
あっぱれである。
甲子園での全国大会に行っても、積み重ねた実力を十分に発揮してほしい、と期待している。
新発田高校について、負けたがよくやった、と簡単には言わない。
やはり悔しさは、次への成長の糧にしてほしいと願う。
しかし、100回目の記念すべき大会への出場はかなわなかったが、100回目の大会では新発田高校が決勝まで行った、という記憶は残る。
記憶に残る健闘をたたえたい。
2年ぶり11回目の出場を目指す中越高校に対するは、初の甲子園出場を目指す新発田高校。
公立高校の新発田高校がその晴れの場に、60年ぶりに進出した。
新発田高校は、息子の母校である。
だから、息子は、職場の理解もあって(?)休みをとって、新潟市・ハードオフエコスタジアムに応援に行ったのだった。
しかし、今まで3試合連続で完投していたエースが今日は控えだったということもあり、3回に中越高校に先取点を許すと一気に3点を取られてしまった。
後手に回ると、場慣れしていないチームは、ミスが出やすい。
ミスが出ると、それが失点に結びつく。
エースを3番手で起用したが、ミスもあって6回に2点の追加点を奪われてしまった。
その後も、送球ミスなどが出て、点差が広がった。
結局、新発田高校は、1-10の大差で敗れてしまった。
初の甲子園出場はならなかった。
惜しかった。
新発田高校は、甲子園のグッズを販売するシャープ産業の元社長、故小林勝喜氏の母校である。
もっとも、出たのは旧制中学の新発田中学であるが。
シャープ産業は、日常阪神タイガーズのグッズを販売していて、春と夏の甲子園大会の時には、高校野球の出場記念グッズを作り、販売している。
それは、今も変わらない。
だから、甲子園―小林氏と縁のある新発田高校に出場してほしかったという気持ちがある。
だが、現実は、そう甘くはない。
中越高校は、昨夏の決勝で日本文理高校に敗れ、甲子園出場を逃していた。
その悔しさをばねにして、今回の優勝をつかみとった。
あっぱれである。
甲子園での全国大会に行っても、積み重ねた実力を十分に発揮してほしい、と期待している。
新発田高校について、負けたがよくやった、と簡単には言わない。
やはり悔しさは、次への成長の糧にしてほしいと願う。
しかし、100回目の記念すべき大会への出場はかなわなかったが、100回目の大会では新発田高校が決勝まで行った、という記憶は残る。
記憶に残る健闘をたたえたい。