今回、埼玉に行っていた目的の1つが、物の整理作業。
その作業の1つに、布団の整理作業があった。
埼玉の家では、以前、養蚕も併せて行っていた。
蚕を飼い育てるとき、家の中で行っていた。
そのために、その期間の寝起きは、離れに住まいを移していた。
つまり、本宅を文字通り「お蚕様」に明け渡す。
人間の方が、家を譲るような形になっていた。
結婚後、私も離れに寝たことがあったのを思い出す。
だから、布団は家の中だけでなく、離れの住まいにも置いてあったのだ。
また、昔は、来客を自宅に泊めるのが普通だったから、布団を押し入れに何組も置いてあるのが当たり前だった。
しかし、養蚕をやらなくなってから30数年がたち、離れは使われなくなった。
その当時やそれ以前の布団が、たくさん残っていたのである。
かなり傷んでいるものもあった。
それらを、家庭ごみとしてゴミステーションに捨てることはできない。
粗大物であっても処理できる、専用の施設でないといけない。
そんな訳で、地域の処理施設を探して、持ち込むことにした。
車の後部座席を倒して、傷んでいていらない布団類を詰め込んだ。
処理場に持っていった布団類は、車で2回分ほどあった。
人間は、1日の3分の1近くを布団の中で過ごす。
だから、今回処分を決めた布団類には、たくさんの人の人生、人間ドラマがあったのだろうなと思う。
人間たちを温かく包んで、生活を支えてくれた布団たちだったはずだ。
処理場内の指定されたところに布団類を投棄しながら、心の中で手を合わせたい気分になっていた私であった。
その作業の1つに、布団の整理作業があった。
埼玉の家では、以前、養蚕も併せて行っていた。
蚕を飼い育てるとき、家の中で行っていた。
そのために、その期間の寝起きは、離れに住まいを移していた。
つまり、本宅を文字通り「お蚕様」に明け渡す。
人間の方が、家を譲るような形になっていた。
結婚後、私も離れに寝たことがあったのを思い出す。
だから、布団は家の中だけでなく、離れの住まいにも置いてあったのだ。
また、昔は、来客を自宅に泊めるのが普通だったから、布団を押し入れに何組も置いてあるのが当たり前だった。
しかし、養蚕をやらなくなってから30数年がたち、離れは使われなくなった。
その当時やそれ以前の布団が、たくさん残っていたのである。
かなり傷んでいるものもあった。
それらを、家庭ごみとしてゴミステーションに捨てることはできない。
粗大物であっても処理できる、専用の施設でないといけない。
そんな訳で、地域の処理施設を探して、持ち込むことにした。
車の後部座席を倒して、傷んでいていらない布団類を詰め込んだ。
処理場に持っていった布団類は、車で2回分ほどあった。
人間は、1日の3分の1近くを布団の中で過ごす。
だから、今回処分を決めた布団類には、たくさんの人の人生、人間ドラマがあったのだろうなと思う。
人間たちを温かく包んで、生活を支えてくれた布団たちだったはずだ。
処理場内の指定されたところに布団類を投棄しながら、心の中で手を合わせたい気分になっていた私であった。