昨夜は、アスレチックス対マリナーズの野球の試合が決着するまで見てしまった。
もしかしたら…という思いが現実のものとなり、イチロー引退の試合となってしまった。
8回の守備についた後の選手交代で退くときの光景は、忘れられない。
満場の観客が総立ちになって称え、拍手する。
全選手がベンチ前で迎え、一人一人とハグするイチローの姿。
日本人の菊池雄星だけでなく、ゴードン選手も涙を流していた。
そこには、イチローという偉大な選手をリスぺクトして、その最後の瞬間を惜しむ人たちの姿があった。
偉大なだけなら、あそこまでの光景が広がったりしないだろう。
彼が残した功績だけでなく、彼のもつ人間性が、観衆や選手たちをそこまでしたいという気持ちにさせたのだ。
試合後の場内1周の際にも、残っている観衆は多かった。
最終電車に乗り遅れた人も、きっと多くいたことだろう。
だけど、それでもイチローの最後の姿を少しでもまぶたの裏に焼き付けておきたかったのだろう。
イチローの人間性は、これまでの言動に十分に見ることができたが、引退会見にも存分に表れていた。
会見の冒頭には、
「ここでは、これまで応援していただいた方々への感謝の思い、そして、球団関係者、チームメートに感謝申し上げて、皆様からの質問があればできる限りお答えしたいと思っています」
と言った。
また、質問の1つ1つに丁寧に答え、実際に深夜なのに1時間半近くの会見を行っていた。
さらに、答えるときには最も的確な言葉を選んで、聞く人に自分の思いがしっかり伝わるようにと配慮していたのが印象的であった。
そして、真剣な答弁の中にも、ユーモアを忘れないことも素晴らしかった。
「おなか減ってきちゃった」と言って終わりへと意識を向けさせたり、最後の締め方にこだわったりしながら、最後は、
「締まったね、最後。いやー長い時間ありがとうございました。眠いでしょ、皆さんも。ねぇ。じゃあ、そろそろ帰りますか、ね」
という終わり方。
嫌味や押し付けが感じられず、会見会場を明るくして終わることができた。
努力する姿勢はもちろんだが、言動に現れる人間性がやっぱりすばらしい。
そういうすばらしい日本人選手がやめてしまう、ということも惜しく思われたイチローの引退であった。
もしかしたら…という思いが現実のものとなり、イチロー引退の試合となってしまった。
8回の守備についた後の選手交代で退くときの光景は、忘れられない。
満場の観客が総立ちになって称え、拍手する。
全選手がベンチ前で迎え、一人一人とハグするイチローの姿。
日本人の菊池雄星だけでなく、ゴードン選手も涙を流していた。
そこには、イチローという偉大な選手をリスぺクトして、その最後の瞬間を惜しむ人たちの姿があった。
偉大なだけなら、あそこまでの光景が広がったりしないだろう。
彼が残した功績だけでなく、彼のもつ人間性が、観衆や選手たちをそこまでしたいという気持ちにさせたのだ。
試合後の場内1周の際にも、残っている観衆は多かった。
最終電車に乗り遅れた人も、きっと多くいたことだろう。
だけど、それでもイチローの最後の姿を少しでもまぶたの裏に焼き付けておきたかったのだろう。
イチローの人間性は、これまでの言動に十分に見ることができたが、引退会見にも存分に表れていた。
会見の冒頭には、
「ここでは、これまで応援していただいた方々への感謝の思い、そして、球団関係者、チームメートに感謝申し上げて、皆様からの質問があればできる限りお答えしたいと思っています」
と言った。
また、質問の1つ1つに丁寧に答え、実際に深夜なのに1時間半近くの会見を行っていた。
さらに、答えるときには最も的確な言葉を選んで、聞く人に自分の思いがしっかり伝わるようにと配慮していたのが印象的であった。
そして、真剣な答弁の中にも、ユーモアを忘れないことも素晴らしかった。
「おなか減ってきちゃった」と言って終わりへと意識を向けさせたり、最後の締め方にこだわったりしながら、最後は、
「締まったね、最後。いやー長い時間ありがとうございました。眠いでしょ、皆さんも。ねぇ。じゃあ、そろそろ帰りますか、ね」
という終わり方。
嫌味や押し付けが感じられず、会見会場を明るくして終わることができた。
努力する姿勢はもちろんだが、言動に現れる人間性がやっぱりすばらしい。
そういうすばらしい日本人選手がやめてしまう、ということも惜しく思われたイチローの引退であった。