ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

卓球。40年近く前の大逆転負け(2)

2010-09-15 22:22:36 | 生き方
20-14からの逆転負け。
その試合を戦った彼と、こうして40年近くたって、あの試合のことを肴にして飲むことになるとは思わなかった。
人生は不思議なものである。

彼の名を、仮にAさんとしておこう。
Aさんと私が再会したのは、試合を戦ってから12年後のことであった。
20代もまもなく終わろうとする頃。
互いに校種は違うが、2人とも同じ県の教員となっていた。
そして、偶然同じ市に勤務することになったのであった。
大学時代、ずいぶん私よりも上のレベルで卓球をしてきた彼は、その市の前年度のチャンピオンであった。
彼から「市の卓球大会に出よう」という誘いを受け、一緒にダブルスを組んで戦うと、なんと優勝することができた。
あの時も、まさか高校時代のライバル(私にとっては。彼にとって私のことは眼中にない。)とダブルスを組む日が来るとは思ってもいなかったことであった。

時間は、そこからさらに20年近くが過ぎる。
互いに同じ市に住み、少し離れているがわりと近い勤務先になった。
「卓球しないか。」
20代のときもそうだったが、また彼から誘ってきた。
40代後半の夏の暑い日、体育施設の一室を借り切って、ボールを打ち合った。
彼は、カットマンではなく、ペンホルダーの前陣攻撃型になっていた。
中学校に勤務し部活で指導するうちに、その方が楽しくなったらしい。
何回かゲームをしたが、3回に1回くらいしか勝てなかった。
相変わらず、彼には勝てなかった。
もともとの強さが違う上、卓球をする頻度が違うのだから、仕方がない。
向こうは、部活等で結構やれる身。
こっちは、年に1度するかしないかである。
でも、こうして最初に出会ってから30年以上たって、親しく卓球ができるようになったのがとても心地よかった。

それからまた5年ほどたち、去年、異動した勤務先のすぐ隣の中学校に、彼―Aさんがいた。
「卓球しよう。」
「ああ、ぜひ。」
そう約束しながら果たせないまま、この春、Aさんは、30数キロ先に異動になってしまった。
ところが、つい先日偶然再会した結果、卓球する日が決まった。

私の家の近くの体育館で、夕方落ち合った。
汗びっしょりになりながら、練習ボールを打ち合った。
その後、お決まりのように、ゲームを行う。
お互いに、トシで体が動かないと言いながら、相手に負けまいとボールをたたく。
卓球は、すごいボールを打てるに越したことはないが、実は、相手の取れないところにボールを打てれば、それで得点が取れるスポーツでもある。
ノータッチで抜くようなボールを仕掛けたかと思うと、相手の逆を突くようなコースにゆるいボールを送る。
互いに、「クソー」「やられた」などと言いながら、自分が主役の試合に熱中する。
そう、映画にもなった「ピンポン」の主役になった思いである。
高校生であろうと中年であろうと(老年と言う人もいるが)、関係ない。
実に楽しい。

大逆転負けを食らった昔と違って、今は、11本で1ゲームである。
サービスが2本で交替するので、5本続けて得点されることは少ない。
それでも、実力差があって、Aさんの方が勝つゲームが多い。
11ゲームやって、4-7。
Aさんの圧倒的勝利である。
約2時間の卓球。
心から言える、「楽しかった!」と。

その後、「飲もう!」と意見が一致した。
2人で生ビールを何度もぐいっと開けながら、語り合った。
汗を流した後の生ビール、最高!
それにしても、40年近く前の高校時代対戦した相手と、こうして笑いながら卓球をして酒を飲むようになるとは。
あの頃、逆転負けをくらった自分には、こんな未来が来るとはとうてい考えられなかった。
Aさんは、あの大逆転の試合を、地区の1回戦での戦いながら結構よく覚えているという。
しかし、Aさんは、苦戦したから自分が1ゲーム失ってフルゲームの試合だったと誤って記憶していたこともわかった。
50歳代になって、こうして卓球をして汗を流せる楽しさを味わえる。
昔の自分たちを思い出しながら、卓球したり飲んだり人生を語り合ったり。
そういう相手がいて、そういう瞬間を共有できたことは、うれしい限りであった。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 卓球。40年近く前の大逆転... | トップ | 秋の花。私のお気に入りは、... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

生き方」カテゴリの最新記事