広島市教育委員会が本年度、同市の小中高生が取り組む平和教材から、中沢啓治氏のマンガ「はだしのゲン」を削除し、別の教材に差し替えた。
それによって、市民や被爆者団体から撤回を求める意見が殺到した。
そんなことが、今年、一時ニュースになった。
たしかに、時代が変わっていく中で、「はだしのゲン」に対する見方や受け止め方も変わってきているだろう。
だけど、「はだしのゲン」は、マンガながら、どこの学校の図書館にも置いてあった。
マンガの形式をとってでも、それだけ子どもたちに原爆の悲惨さや平和の尊さを知ってほしいという願いがあったはずなのだが…。
ところで、中沢啓治氏の代表作は「はだしのゲン」だが、他の作品はあまり目にしたことがなかった、というのが正直なところだった。
そこで、最寄りの図書館で、氏の作品を探すために、図書の分類番号「726」のコーナーへ行ってみた。
この図書館は、古くなった本が結構多く並んでいるのだが、そこの棚も例外ではない。
というより、「726」の棚に新しい本はほとんどない。
実は、「726」は、マンガや挿絵などの分類番号であるためか、新刊は敬遠気味のようだ。
そこに1冊、中沢啓治氏の単行本が置いてあった。
「中沢啓治著作集① 広島カープ誕生物語」という400ページ余りもあるハードカバーのマンガ本であった。
2014年4月30日初版発行となっている。
中沢氏が亡くなったのは、2 012年の12月だから、その追悼の意味もあるシリーズの1冊だったのかもしれない。
中沢氏は、熱狂的な広島カープファンだった。
この本は、原爆で大きな被害を受けながらも、その痛みをはねのけつつ誕生した広島カープ球団。
その設立から1975年のセ・リーグ初優勝までを追った作品である。
優れた野球選手を生みながらも、地元にプロ野球チームがなかった広島に、市民待望の新球団がどうやって生まれたのか。
広島カープができたのはいいが、金銭的にバックアップしてくれるスポンサーが少なく、市民が後援会を作って募金活動に努めたこと。
地元出身選手のトレード流出に、市民が一生懸命引き止めようとしたこと。
そんな、広島カープの黒歴史ともいえることを、野球の好きな一般市民を主人公にしながら描いている。
そして、その苦労が報われた1975年の初優勝。
ルーツ→古葉への監督交代がありながらの赤ヘル旋風。
エース外木場、抑えの金城と安定した投手陣、
頼りになった、山本・衣笠や、シェーン・ホプキンスの外国人などの攻撃陣。
優勝を決めた試合での、勝利を決定づけたホプキンスのホームラン。
当時18歳だった私だが、この試合のことはよく覚えている。
戦争、原爆などを描いたことで知られる中沢啓治氏としては、多少異質な作品ではあった。
だが、広島カープの歴史や氏のカープ愛がよく伝わって来る作品だった。
戦争だけでなく、愛する地元広島に関するこういう作品も書きたかったということがよくわかった。
ただ、このマンガを面白がることができる人は、昔の広島カープを知っている人など、ある程度年輩の人間なのだろうなあ。
初優勝から48年だもの。
だけど、戦争や被爆というつらい過去を乗り越えて、広島という地方都市に野球チームが誕生したということは、もっとたくさんの人に知ってもらったり考えてもらったりしてもいいはずだ、と思うのだ。