ON  MY  WAY

60代を迷えるキツネのような男が走ります。スポーツや草花や人の姿にいやされ生きる日々を綴ります(コメント表示承認制です)

「サッカー・J2論」(松井大輔著;ワニブックス)を読む

2019-12-21 22:17:11 | 読む


アルビレックス新潟がJ2に降格してから2年。
J1昇格どころか、その参入プレーオフ圏内の6位にも入れていない新潟。

1993年にJリーグが始まったとき、J1・J2・J3というカテゴリーはなかった。
あの開始当時のチームは、「オリジナル10」と呼ばれている。
そして、1999年にJ2のカテゴリーができた。
そこには、当時アルビレックス新潟を含む10チームがいたのだった。
あの頃は弱いチームもあったのだが、今やJ2は決して弱いチームの集まりではないと、痛感している。

今月、元日本代表で現在も横浜FCで活躍している松井大輔が出した新著が気になって購入した。
その書名が「サッカー・J2論」。
J2リーグで、キャリア20年の半分の約10年間選手生活を送っている松井氏がどんなことを書いているのか、気になったのだ。

本の裏表紙には、次のような見どころが書いてある。
・予算規模はJ1の3分の1。
・ユニフォーム交換は選手の自腹
・ゲートボールをしている隣で練習
・オフは1か月に4日未満のときも


そのような実話もよかったが、
「・外国人助っ人事情」
「・新卒選手があえてJ2を選ぶ時代に」
「・J2で勝てる戦術 J1で勝てる戦術」
という項目の内容が、興味深く納得するものだった。+ 

特に、戦術に関しては、なるほど、と思った。

J2が発足した当時は、多くのチームがロングボールを多用していた。
(新潟もそうだったかもしれない)
ショートパスをつないで相手の守備組織を崩していく技術が低かったため、自陣から遠くへボールを蹴って突破口を見出していた。
アバウトなボールでも、J2ならば相手がミスしてくれるかもしれない。
ただし、J1になった瞬間にその戦術が通用しなくなるというケースは多い。
J2で勝てるサッカーとJ1で勝つサッカーは、まったく違うということを強く主張しておきたい。
チームの強化にはしっかりとしたビジョンが必要。
好例として近年の昇格組から大分トリニータがある。
大分は、2016年に片野坂監督が就任してから、J3からJ2を経て、今季J1の上位で活躍した。
J2を戦うチームの方針として、昇格を優先するのか、その先のJ1での戦いも見据えたチーム作りをするのか。どちらが正解とは断言できないだけに、とても難しい。
(そこでブレてしまったのが、新潟ではなかったか?)

新潟も、J1への復帰を目指す以上、どうするのか考える必要がある。
新潟は、今季から、アカデミーに「メソッド部門」を設けた。
このたび、アルベルト・プッチ・オルトネダ新監督を招へいした。
ゼネラルマネージャーを設置し、玉乃淳氏を起用した。
社長がこのような方策を次々と打って出ている。
ということは、長期的に強いチームづくりをしようという意図が見える。
今後、アルビレックス新潟が「J2論」で語られた強いチームになることを期待したい。
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12月23日が休みでなくなったが…

2019-12-20 22:32:06 | 「育」業
カレンダーで来週の一週間を見ていたら、ああそうか、と気付くことがあった。
去年まであった休みの日がないのだ。
12月23日。
去年まで「天皇誕生日」があったが、令和になった今年は、そうではない。

学校に勤務していたときには、平成になってから12月23日が休みになった。
こちらでは、一般に12月25日からが冬休みになっていた。
だから、12月24日が2学期の終業式となっていた。
12月23日が休みになって、終業式前にもう一仕事する時間ができるのでありがたい休みであった。
ただ、近くのいくつかの自治体では、条例を改正して24日を休業日にしてしまったところも多くあった。
そうなると、2日も早く学期末業務を終えなければいけなくなるので、子どもたちは冬休みが増えるので喜んでいたが、教員たちはかえってあわただしくなって、大変な思いをしたものであった。

24日を休みにした自治体は、今年、その日はどうしたのかなあ?
やはり休みのままなのだろうか?

それはともかく、2学期の終業式が来週という学校には、明日明後日の土日を使って、ラストスパートという教員も多いことだろう。
2学期は、1学期よりも一人一人の子どものことがよくわかり、よく見えるようになる。
2学期には、1学期以上に力を伸ばす子も多い。
かつて仕事をしていたときには、力を伸ばしてやれなかった子どもに対して、懺悔の気持ちを抱いたことがよくあった。
個々の子どものよいところを見取り、さらに力を伸ばせるようにするのが教員の務めであるからだ。

先日、県内の中学3年生が、教員用サーバーに不正接続して成績表を改ざんするという事件が起こった。
昔は考えられなかった、信じられない出来事である。

様々なことが起こる時代になった。
多忙な日々だった2学期の授業日ももうすぐ終わる。
23日の存在が、どう役に立つかはわからないが、あと少しだ。
危機管理意識を高くもって、一人一人の子どものためにがんばってほしいと、外野の私は思っている。


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福の神たちの日なたぼっこ

2019-12-19 20:50:38 | 自然・季節
12月も明日で20日になる。
1年最後の月。
正月を迎えるには、1年の汚れを落とさなくては…。
…ということで、大掃除に力を入れなくてはいけませぬ。

埼玉に行っていたとき、向こうの家も正月に備えて、神棚を掃除した。
神棚は茶の間だけではなく、台所の上にもあった。
水神様なのだろう。

その台所の神棚の中に、木彫りの人形のようなものが収められてあった。
これもほこりがたまっているので、外でほこりを払い、水を絞った布で拭いてあげた。
そして、数分間日なたぼっこ。



人形と思っていたのは、よく見ると、福の神たち。
七福神には、二体足りない。

左から、たぶん、寿老人、恵比寿、布袋、大黒天、毘沙門天…なのじゃないかなあ。
どうして福禄寿と弁財天がいないのか。

右の2つと左の3つでは作り方に大きな違いがある。
誰が作ったのか。

…これらのことは、代々この家を守ってきた人たちがいなくなってしまった今は、もうわからない。

でも、きれいになって、日なたぼっこして、福の神たちも気持ちよさそうだった。
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年賀欠礼の挨拶状が届くが…

2019-12-18 22:14:57 | 生き方
昨年は、自分が出す立場だったのだが、早いもので1年たった。
今年も年賀欠礼の挨拶状が届く季節になった。
このうち、半分くらいの人が、分かりやすくは書いてあるのだが、残りは、少々困ってしまった。


喪中につき年末年始のご挨拶をご遠慮申し上げます
本年中に賜りましたご厚情を深謝したしますとともに明年も変わらぬご厚誼のほどお願いいたします。


…というような文章だけの挨拶状だと、情報不足で困ってしまうことが多い。

なぜかというと、喪中は分かるが、誰が亡くなったのかが分からないのである。
まさか差出人の家にわざわざ電話して、誰が亡くなったのか?なんてことは、なかなか聞けるものではない。

また、「母●●が永眠いたしました」と書いてあっても、連名で書かれた夫婦のどちらの母が亡くなったのか分からないという時もある。
せめて苗字があると、夫婦のどちらの側の母がなくなったのかが分かるのだが。

そして、せっかくだから、「いつ」「何歳で」亡くなられたのかも書いてあると、よく分かっていいのにな、と思う。
「K子の母○○●●が11月10日に95歳で永眠いたしました」
のように書かれてあると、ああそうなのか、奥さんのお母さんが亡くなったのか、先月だったのか、などと分かる。


今回受け取った挨拶状の中で、なかなかだなあと思ったものに、こんなものがあった。
「祖母○○の喪中につき、年末年始の…」
で始まるのは普通通りなのだが、文章の終わりにはこんなことが書いてあった。

「皆様からの年賀状は励みにもなりますので どうぞ例年どおりお送りくださいませ」

…これ、いいなあと思った。
受け取る側がほしいと言っているのだから、年賀状を出しても失礼にはならない。
ならば、いつものように出して、励ましてあげよう。
そう思ったのだった。

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「陸王」(池井戸潤著;集英社文庫)を読む

2019-12-17 21:52:18 | 読む


「陸王」
このテレビドラマが放送されていたのは、もう2年も前になる。

そのドラマが放送されていた頃、私がRUNの大会に出たりしているランナーだと知ると、よく声をかけられたのが、
「陸王、見ていますか?」
だった。

興味はあったが、日曜の午後9時というのは、自分の生活のリズムに関して都合の悪い時間帯だったので、あえて見ないでいたのだった。
ただ、放送終了が惜しまれるほど人気があった番組であったと記憶している。
ランニングシューズを扱ったものだということは知っていたが、話の内容は詳しく知らないでいた。
再放送をしていたのは、去年の今ごろではなかったか。
そこで、何気なしに最終回だけ見たのだった。
ランナーとして焦点を当てられていたのは、竹内涼真演じる茂木という選手だった。
その活躍で、彼の履くランニングシューズを作った会社が、爆発的に売れるようになったというハッピーエンドであった。

話自体は、ランナーの物語ではなく、ランニングシューズづくりに取り組んだ老舗の足袋会社の物語だった。
当時書店に行くと、単行本がうず高く積まれていたが、2,000円近くの価格を見て、購入はちょっと迷ったのだった。
それが、今年文庫化され、価格も1,000円+消費税と手ごろになったので夏の終わりに買ったのであった。
買ったはいいが、分厚くて740ページもあるものだから、読み始めるのを躊躇していた。
今回、埼玉に行った際に、空いている時間に読むことを決めた。
読み始めると、さすが人気作になるだけあって、読ませるものがあった。

老舗の足袋業者が、右肩下がりの会社の存続をかけてランニングシューズ作りに取り組もうとする。
主人公の社長が、金も人脈も足りないところから、次々に生じる困難を、行動力と前向きな性格と人への信頼で、幾度も乗り越え前に進んでいく。
そこに読みごたえがある。
例えば、ソールに使う新素材の特許をもった、クセのある人物の引き込み方・活かし方。
例えば、零細企業ゆえの悲哀から資金もなくなりアメリカの新興大企業からの買収話に乗るしかないところで、別な提案をし、相手社長を丸め込む対応の仕方。

そこに、話の進展とともに、働き甲斐を見つけた息子の頼もしい変貌。
故障からの復活をかけるランナーの、信頼に応えようとする奮闘。
そういうものが、話を盛り上げていく。

結論として、人を動かすのは人への信頼であるということ。
そして、前を向いて進んでいくこと。
文庫本の帯には、「勝利を、信じろ。」と書いてあるが、信じられるのは「人のことを考えた、人とのつながり」ではないだろうか。

テレビドラマの最後のように、シューズの注文が相次いで大成功する、というような場面は、原作にはなかった。
しかし、読後感が非常に爽やかな一冊だった。
結果として、740ページがあっという間の数日であった。

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夕焼けランランRUN

2019-12-16 20:50:07 | RUN
2日前の夜、天然の冬の稲妻が光ったのが嘘のような今日一日のいい天気。
日中は青空が広がり、雲もほとんどない快晴の一日。
当地の12月の天気としては珍しい。



午前中の散歩の際には、すっかり葉が散って枝しか残っていない桜の木も、青空を背景にするときれいなものだなあと思った。


夕方、あまりにいい天気なので、走りに出た。



ただ、途中で夕焼けが非常にきれいになってきたので、ところどころで足を止めてスマホで写真を撮っていた。


西から白鳥が何羽か群れとなって、ねぐら目指して飛んでいた。

さらに時間がたつと、夕焼けが濃くなり空の青も深くなってきた。



もし走っていなければ、時間を追って濃くなる夕焼けをじっと眺めていたくなっただろう。
でも、走りに出ていなければ、こんなにきれいな夕焼けを見られなかっただろう。



宵の明星も光っていた。

とても得をした気分で、足どり軽く気持ちよく15kmを走って帰って来たのであった。
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「冬の稲妻」といえば

2019-12-15 21:51:55 | うた

「冬の稲妻」と昨日書いたが、「冬の稲妻」といえば、1978年にアリスがヒットさせた楽曲である。



谷村新司、堀内孝雄、矢沢透の3人からなるアリスの、ヒットチャートベスト10に初めて入った曲がこの「冬の稲妻」だった。
この曲は、1977年の10月にリリースされながら、ヒットしたのは翌年に入ってからだったようだ。
当時の人気音楽番組「ザ・ベストテン」にも登場し、一躍有名になった。

「あなたは稲妻のように 私の心を引き裂いた」
で始まるこの歌は、このフレーズが強烈な印象を残した。
そして、「You’re Rolling Thunder」という「英語入り」の歌詞や、その次の「アー」というため息なのか歌詞なのか分からない部分が、新鮮でよく聴かせる部分だった。

同じ大学の口の悪い奴が、「冬なんか稲妻のシーズンじゃねえよ」と悪態をついていた。
そいつは、太平洋側の県出身であったから、冬にも稲妻が光る日本海側のことを知らなかったのであった。

さて、アリスは、当時の言葉で言えば、「フォークグループ」として知られていた。
このヒットした「冬の稲妻」が入ったアルバムは、6枚目の「アリスⅥ」だった。
その前の「アリスⅤ」を結構気に入っていた人は多かった。
アリスファンには名曲として知られる曲が多く入っていたからだ。
「今はもうだれも」「遠くで汽笛を聞きながら」「帰らざる日々」などは、それぞれそこそこヒットして、好きな歌だと言っている人も多かった。
私も、その「Ⅴ」のアルバムの頃からアリスが好きになった一人であった。
特に、「遠くで汽笛を聞きながら」は、弟がシングルレコードを買って来て聴かせてくれてからは、弟の弾くギターで一緒に歌ったことなども懐かしい思い出になっている。

私の周囲には、「冬の稲妻」がヒットすると、「売れるように考えて作られた歌だから、わざとらしくて好きじゃないよ」なんて言う人も多くいたっけなあ。
ただ、この「冬の稲妻」は、内容的には女性の側の歌だろうけれど、歌う彼らに男っぽさを感じる人たちも多くいたのであった。
男っぽいのに、「アリス」という女性の名前がグループ名だというアンバランスさも面白かった。
これ以降の歌は、男くささを出したものが多かったと感じている。
そして、アリスはフォークソンググループではなく、ポップスのグループとして人気になった。

やがて、そのアリスは、1981年に活動停止したのであったが、それ以降何度か活動再開をしている。
今年も、6度目の活動再開ということで、アリスの3人をテレビなどでよく見かけた。
「冬の稲妻」から40年以上もたっているのに、まだ一緒に歌ってくれる姿が見られるのはうれしいなあ、と思っている。

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冬の稲妻が迎えてくれた!?

2019-12-14 22:26:36 | 新潟
12月でも、埼玉ではいろいろな花が咲いていていいなあ、と思った。


新潟と共通するのは、サザンカの花が満開だ。

でも、驚いたのは、スイセンの花だ。
もう咲いていた。

スイセンは、新潟なら咲くのは3月だろう。
3か月も早い!

連日除草作業を行った畑の畔では、ホトケノザが、秋からずっと咲いている。
秋から冬、春とずっと花を咲かせているのだ。

新潟では秋にはあまり見ない。
春になってお目にかかれるのが普通かな。


そして、このムラサキカタバミも、陽だまりの中で花を咲かせ続けている。
春からずっと見続けているので、1年中咲いていると言ってもよいのではないか?

きれいだ。


これだけ花が咲けるのは、よく晴れて暖かいからだ。
新潟は、これから冬に冷たい雪や雨がよく降る。
真に春が来ないと暖かくならないから、新潟ではこれらの草花はこの時期には見られない。

暖かい陽射しがうらやましい。

午後、新潟に帰ってきた。
青空とまぶしい陽射しの中を出発したのに、国境の長いトンネルを抜けると、冷たい雨が降っていた。
夜は、稲妻が走り、雷が近くに落ちた。
そのせいで、ブレーカーが落ち、一時停電となった。
バラバラとヒョウも降った。
「冬の稲妻」が、「おかえり。新潟に」といって迎えてくれたのかな?
「雪降らし」とか「雪起こし」とかいう、雪が降る前の雷。
やっぱり、そんな雷の音を聞く冬よりも、暖かい陽射しの中で咲いている花を見られる冬が心地いいよなあ…。
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除草作業終了

2019-12-13 22:04:07 | 生き方
畑の除草作業終了。
正直なところ、作業開始初日は、こんなに生えているヨシやススキたちを全部手で刈り取るなんて、簡単じゃない。
そう思った。
しかし、2回目でかなりがんばったから、残りはこれだけ。



作業を今日の3回目で終えることができた。



かなりやり甲斐があった。
3回とも妻と娘と3人がかりでよくやったと思う。

同様に、家の前庭の草刈りも行った。
繁殖力がすごい種類なので、刈り取ることにした。

(先月の写真)



根がだいぶ残っているので、あとはまた来年。

この1年、こちらの維持管理作業をいろいろと行い、年間を通した作業内容のめどが立った。
ただし、体が丈夫でなければできないとも感じた。
できるだけ長く健康でありたいものだ。

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復旧には時間がかかりそうだ

2019-12-12 20:50:03 | 自然・季節
台風19号で日本国内のあちこちで水害が起こった。
長野ほか各地でまだボランティアが足りないとよく報道されている。
報道されていない地域でも被害を受けているのを見ると、その大変さがさらに伝わってくる。

来たときにはよく走る埼玉の河川敷。
前にも書いたとおり、削れて道がなくなっていたり、砂が道に積み重なったりして、ここも被害を受けていた。
やはりそう簡単に復旧はしない。
今日は、上流に向かって走ってみた。
相変わらず舗道上に大量の砂が上がったままであり、走りにくかった。
だが、そんなに多くはないが、場所によってはどけてあるところもあった。

上流に行っても、やはりたくさんの雨水が流れ込み、相当激しい流れとなったことが見てとれた。
ある場所では、伏流水となるのだが、見てすごい違和感を受けた。
ただ川底が見えるだけではなく、大きな石が全く残っていなかった。



強い流れが大きな石も流してしまったのだろう。

また、強い流れが川底を削っていった とわかる場所もあった。



同じように被害を受けた河川はかなりたくさんあったはず。
この河川敷を走る、本庄早稲田クロスカントリー&ハーフマラソンの大会(来年4月)は、ハーフマラソンが中止となったが、再来年はというとまだどうなるかわからないなと思ってしまった。
以前と比べて、すれ違う人も極端に少なくなった。
「こだま千本桜」で有名な河川敷は、来春までにどのくらい復旧できるのだろうか?

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