ここは、京都御苑内の今出川公園です。野球場になってます。
その昔、私がここに居た写真がありました。
多分、公園の写真の向かって右側にいたと思います。
ベンチの形は変わっていますが、
後ろの垣根のまっすぐ具合が同じ感じです。
写真の裏に…、
「12月 京都御所 ソフトボール大会 2-7優勝 」
と書いてます。高校2年の時のでした。7組でした ヽ(^o^)丿
私が覚えているのは、友達が、
『寒いし、そのコート貸してえ~、』
と言ったので貸したことです。それと、
このソフトボール大会には応援だけに来たこと。
そういえば、この時着ているこのセーター、
裏向けに着てたことに授業の真っ最中気付いて、
あわてた事があったなあ(>_<)
どうやらこの癖、この頃からあったみたいです ((+_+))
今でも、職場の更衣室で、
『〇〇さん、ブラウス裏向け~』
ってよく注意されてます (^_^;)
”少年老い易く 学成り難し”
全く、学習出来てません。 (T_T)
今年も間もなく…、
月日の経つのは早いです。 (ーー;)
まっすぐ前だけを見て同じ足並みで築地塀に沿って、
御所の周囲を何度もパトロールしていました。
制服?もバッチリ!
黒地に金で「皇宮警察」の文字の入った格調高いモード。
そんな、かなりの敏腕警察とは裏腹に、
私はキョロキョロと散策していました。
写真を撮らせて頂けるか、たずねましたところ、
何か、チョコチョコっと、ワンちゃんに話しかけられたと思ったら
おすわりして、こちらを向いてくれました。
「スタンダードプードル」 という種類だそうで、元々
プードルとは、こういう大きさの犬だったそうです。
「スタンダード…」 なんですね、このサイズが、
飼い主さんのワンちゃんを見る目が優しさにあふれていました。
乗り心地はいいのでしょうか?
御所には、犬と散歩する人や、ベンチで読書する人がたくさんおられました。
この地図全体の所は昔…、
こんな風でした。
今は、ここ全体を「京都御苑」 と呼びます。
江戸時代は、二百もの宮家、公家のお屋敷がある町でした。
明治の王政復古の号令により都が東京へ移りますと、
これらのお屋敷は荒廃しました。
明治10年、御所の保存の命令が下されるとお屋敷は取り除かれ土地は整備されました。
これが、京都御苑の始まりです。
昭和24年、ここが開放され、国民の公園となったのです。
今は、「京都御所」 「大宮御所」 「仙道御所」 を
御苑が取り囲むかたちになっています。
また、他にも、公家屋敷跡、歴史的遺構もたくさん残り
御苑内の木々には樹齢百年を超えるものも残っているそうです。
九條邸跡にある、茶室 拾翠亭(じゅうすいてい)です。
九條邸の鎮守で、弁天さまが祀ってありました。
お池には鴨やあひる?が住みついている様子です。
私の行った日、中島にはどうやら近所の子供らしいのですが、
このやんちゃ坊主たち、鳥に目がけて小石を投げるものですから、
鳥は逃げ回っていました (^_^;)
九條邸跡の案内板の所にかかっていました。
あの池にいたやんちゃさんの誰かのジャンバーの様です。
忘れずにちゃんと持ってかえったでしょうか?(^_^;)
九條家は、多く、平安時代から摂政や関白などの
重要職に就き、その娘には天皇のお后になられた方もおられます。
昔の栄耀栄華が偲ばれるお池やお茶室でした。
(これでも、ほんの一部分が残っただけなのでしょうね)
ところ変わって、
紀貫之の桜町屋敷跡。
桜を多く植えた名庭があったといいます。
今もたくさん桜が植わっていました。
小倉百人一首より
”人はいさ 心もしらず ふるさとは
花ぞ昔の 香ににほひける”
最近建てられたものに、「迎賓館」があります。
中の様子はさっぱり分かりません。
迎賓館の辺り、特に北側は木々が生い茂り、うっそうとした森のようでした。
正面(南側)のアプローチは植え込みがとてもきれいで、穏やかな気持ちで
迎賓館にいざなってくれるようでした。
夕暮れ、日の落ちてきた御苑に、さざんかの濃い桃色が
目にも鮮やかでした。
先日、御所を見て宜秋門を出てから…、
すてきな案内版
案内に沿って、西の方角へ…、ふと振り返りますと
御所の向こう、東の方角にまたもや虹が!
午後3時頃に、にじが… (^_^;)\(ーー゛) エエカゲンニセイ!
気を取り直して…?
西の方角を見ますと…、
中立売御門(なかだちゅうりごもん)の向こうから西日が
差し込んでいました。
午後3時過ぎでもう太陽はここまで沈んできているんですね~。
日が短いなと、いささかせわしなく感じてきましたが、
もう少し…。
中立売御門の外から御所内を見ますと、
東山の山肌に「大文字」 の「大」 の字が見えました。
8月16日、午後8時頃、「五山の送り火」 で火がともるのは
よく知られていると思います。
一旦、御所の外へ出て、御所に沿って烏丸通りを南下しますと、
「蛤御門の変」 で知られる門です。
江戸末期の1864年、長州藩と御所の護衛に当たっていた
薩摩、会津、桑名藩が戦った「禁門の変」 のあった所です。
蛤御門をくぐり、もう一度御所内に入りました。
左に京都御所が少し、正面に「大宮御所」 が、その向こうに
今度ははっきりと大文字が見えましたあ~\(^o^)/
「もみじまつり」で渡月橋の上流の大堰川(おおいがわ)に浮かぶ龍頭鷁首(りゅうとうげきす)の船です。
おそらく、1200年昔とかわらずに居て、
一方、地上で人間は…、
沢山の人力車。客引きにいとまがないようでした。
空を見上げると、
更に、遠くには、
こんもりと丸いのが「小倉山」
遠く小倉山の右奥の方に見える,てっぺんにプチュッと出たのが
京都で一番高い「愛宕山」
924mで、京都盆地の北西にあたります。
小倉百人一首より
”小倉山 峰のもみぢば 心あらば
いまひとたびの みゆきまたなむ”
貞信公
これから、12月始め頃まで、嵐山はもみじ狩りの人で、
にぎわいひます。
清凉寺からまっすぐ南に下がると嵐山の渡月橋に
辿り着きます。
その間には、いろいろな施設やお店があります。
この日は「もみじまつり」 で、紅葉にはまだ少し早い
ですが、大勢の人でした。
京都嵐山オルゴール博物館の前で、ピエロがオルゴールを
演奏していました。
ここは、清凉寺と渡月橋を結ぶ通りのほぼ真ん中あたり、
JR嵯峨野線の踏切の近くです。
オルゴールを売るお店ではなく、古い形のオルゴールを
沢山展示している所です。珍しいのがあります。
でも、少しは販売していますし、喫茶コーナーもあり、
のんびりできるいい所です。
建物外観もすてきです。