松尾芭蕉翁は29歳のとき、故郷の三重県伊賀上野から新興都市の江戸へ出ました。伝統の京、大坂でなく新しい街江戸のど真ん中を選んだのです。魚河岸で賑わう日本橋の越後屋(現三越本店)の真向かいの長屋に住んでいました。
その跡に碑があります。日本橋室町一丁目、つくだにの鮒佐の一角です。徳川四代将軍、家綱の時代1672年で、松尾桃青(まつおとうせい)と称していました。
横道がすこしきれいになり過ぎた感じです。
『発句也(ほっくなり)松尾桃青宿の春』 ばせを
その跡に碑があります。日本橋室町一丁目、つくだにの鮒佐の一角です。徳川四代将軍、家綱の時代1672年で、松尾桃青(まつおとうせい)と称していました。
横道がすこしきれいになり過ぎた感じです。
『発句也(ほっくなり)松尾桃青宿の春』 ばせを