鎌倉のお隣り、逗子に六代御前(ろくだいごぜん)の墓があります。平清盛のひ孫で、父は美男の公達で有名な平維盛(たいらのこれもり)です。
舞う姿から桜梅少将とうたわれた父でしたが、富士川に頼朝、倶利伽羅峠に木曽義仲に惨敗、妻子を京に残す愛別離苦の都落ちを余儀なくされました。
敗色の四国・壇ノ浦から戦線離脱し京の妻子へ戻らんとして果たさず、26才で和歌山の那智で入水。
都落ちまでが幸福な家族の最後でした。嫡男六代は当時10才でした。
六代は京にて探索され、鎌倉へ送られ切られるところを文覚上人の頼朝への助命で剃髪して弟子となりました。
しかし、頼朝の死後文覚が流罪となるとここで処刑、父とほぼ同じ27才でした。
平家直系、最後のプリンスでした。
吉川英治の「新・平家物語」の七巻に平家の都落ちの有様が記され、目下愛読中です。
舞う姿から桜梅少将とうたわれた父でしたが、富士川に頼朝、倶利伽羅峠に木曽義仲に惨敗、妻子を京に残す愛別離苦の都落ちを余儀なくされました。
敗色の四国・壇ノ浦から戦線離脱し京の妻子へ戻らんとして果たさず、26才で和歌山の那智で入水。
都落ちまでが幸福な家族の最後でした。嫡男六代は当時10才でした。
六代は京にて探索され、鎌倉へ送られ切られるところを文覚上人の頼朝への助命で剃髪して弟子となりました。
しかし、頼朝の死後文覚が流罪となるとここで処刑、父とほぼ同じ27才でした。
平家直系、最後のプリンスでした。
吉川英治の「新・平家物語」の七巻に平家の都落ちの有様が記され、目下愛読中です。