平 忠度(たいらのただのり)は清盛の末弟で、薩摩守(さつまのかみ)を名乗る和歌にたけた武将でした。
木曽義仲の大軍が北陸から京へ突入直前に、平家一門は赤ちゃんの安徳帝を擁して悲嘆・離別・絶望・混乱の西国へ都落ちします。
大混乱の夜、彼は歌の師匠、藤原俊成へ百余の歌を「お恥ずかしゅう存じますが」と届けました。死を覚悟してもみやびを忘れない詩人魂のなせる業でしょうか。
俊成がその志を受けて、1188年「千載和歌集」(後白河法皇の勅撰和歌集)の中に、一首採り上げました。逆賊とされたのではばかり「読み人知らず」となっています。
「さざ波や志賀の都は荒れにしを
むかしながらの山ざくらかな」 現在の大津湖畔の景です。
新人の頃阪急の十三(じゅうそう)駅で、キセルをして「ただ乗り」がバレたことがありました。反省。
木曽義仲の大軍が北陸から京へ突入直前に、平家一門は赤ちゃんの安徳帝を擁して悲嘆・離別・絶望・混乱の西国へ都落ちします。
大混乱の夜、彼は歌の師匠、藤原俊成へ百余の歌を「お恥ずかしゅう存じますが」と届けました。死を覚悟してもみやびを忘れない詩人魂のなせる業でしょうか。
俊成がその志を受けて、1188年「千載和歌集」(後白河法皇の勅撰和歌集)の中に、一首採り上げました。逆賊とされたのではばかり「読み人知らず」となっています。
「さざ波や志賀の都は荒れにしを
むかしながらの山ざくらかな」 現在の大津湖畔の景です。
新人の頃阪急の十三(じゅうそう)駅で、キセルをして「ただ乗り」がバレたことがありました。反省。