四季の歌と暮らす

 年齢ごとに「一度っきり」の四季と、
旬(しゅん)のヨコハマを味わう「くりごとの集」です。

福岡の旅(4) 蒙古フビライの来襲 

2007-10-30 20:50:10 | 生かされて今日
 福岡西区の今津海岸に、高さ約3メートルの元寇防塁(げんこうぼうるい)が掘り出され国の史跡となっています。鎌倉幕府の指示により私の故郷薩摩大隈と宮崎日向の御家人が築いたそうです。私の先祖も動員させられたかもしれません。
 ここで戦闘があり、多数の戦死が出たことでしょう。蒙古軍はここを突破して博多方面に侵入したが、損害もはなはだしく夕方には船に撤収したそうです。
砦の作り方は担当の地方によりさまざま。どこからこの石を運んできたのでしょう。防風林のお蔭で海鳴りはしますが風はそよ風です。松の樹の香りがして、響ききわたる涛音がモンゴル兵の叫び声に聞こえます。
 次男坊どうしの親子で持参のお寿司を頂きました。

 ♪ワイン汲む元寇防塁秋惜しむ   駿
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戦場の址・福岡の旅(3)

2007-10-30 08:27:57 | 生かされて今日
 今から約730年前、福岡市の西区今津の浜沖に蒙古の軍船がひしめいて殺到した現場です。横綱・朝青龍の祖先たちが対馬や壱岐の島々を略奪、殺戮して日本を服従させんと襲ってきました。ごうごうたる怒涛の轟音、防風林も傾く強風に戦場の恐怖感もさもあらんとビビリます。砂混じりの風は痛くて、白波が蒙古兵のむき出した牙のように見えます。

 物好きにも天神から地下鉄とJR、バスを乗り継いで最前線の戦場址を踏みしめました。第1次の戦争は1274年2.3万人、第2次は七年後で約5倍の14万人の来襲だそうです。
元寇を迎え撃つ日本は鎌倉幕府の執権・23才の北条時宗です。北鎌倉の円覚寺を作った時宗は、心労が重なりわずか31才で亡くなりました。我が町横浜の金沢文庫・称名寺を創建した北条実時は時宗を支えました。
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