鎌倉後期、南北朝時代は天皇家が分裂、権威のシンボルである天子さまが二人並び立ち、野蛮な武力を振るう武家大名どうしでは血で血を洗う下克上の時でした。農民にとっては極めて迷惑悲惨な暗闇の時代だったようです。
大覚寺は南朝方の天皇さんが陣取った嵯峨御所で、その血縁を大覚寺統の天皇といいます。
嵯峨は美しい嵐山や世界文化遺産の天龍寺、芭蕉さんが滞在された落柿舎や悲しい祇王寺、化野念仏寺などに近く、古い歴史が眠る土地柄ですね。
はじめてお参りした大覚寺では、袈裟に夏足袋の正装31名の僧が祈りを捧げる法会に行き会いました。恐らく全山の儀式で、布薩(ふさつ)の法会だと聞きました。この半年に犯した罪、とが、煩悩を釈尊に懺悔申し上げ、再び犯さぬことを誓い合う式典のようです。
なかでも青年僧の青あたまに褐色の法衣、夏足袋の白さが厳粛な気分にさせます。真言宗ですから弘法大師空海を開祖さまとするお寺です。
帰る途中近くの清涼寺のお釈迦さま(国宝)にもご挨拶しました。寺務所の方にわざわざ勧められ、すぐおそばで合掌させて頂きました。前回参拝しました時、恐れ多くも自分に似ているとピーンと直感したものですから。
大覚寺は南朝方の天皇さんが陣取った嵯峨御所で、その血縁を大覚寺統の天皇といいます。
嵯峨は美しい嵐山や世界文化遺産の天龍寺、芭蕉さんが滞在された落柿舎や悲しい祇王寺、化野念仏寺などに近く、古い歴史が眠る土地柄ですね。
はじめてお参りした大覚寺では、袈裟に夏足袋の正装31名の僧が祈りを捧げる法会に行き会いました。恐らく全山の儀式で、布薩(ふさつ)の法会だと聞きました。この半年に犯した罪、とが、煩悩を釈尊に懺悔申し上げ、再び犯さぬことを誓い合う式典のようです。
なかでも青年僧の青あたまに褐色の法衣、夏足袋の白さが厳粛な気分にさせます。真言宗ですから弘法大師空海を開祖さまとするお寺です。
帰る途中近くの清涼寺のお釈迦さま(国宝)にもご挨拶しました。寺務所の方にわざわざ勧められ、すぐおそばで合掌させて頂きました。前回参拝しました時、恐れ多くも自分に似ているとピーンと直感したものですから。