黒塀通りというお寺さんが集まる一角があり、芭蕉翁と曽良が参拝した寺院がありました。河合曽良の生まれは信濃諏訪、神道を学び伊勢長島藩の武士で、翁より5才年下でした。長島藩主の息子がここ村上藩へ婿入りし亡くなっていたので、曽良は旅の当初から墓参の予定があったみたいです。何らかの人脈からお城へ連絡出来、村上藩家老から約3万円を頂いています。なお、曽良はおくの細道を終えてから徳川幕府の諸国巡検使の随員となりはるか朝鮮を望む壱岐の島で亡くなりました。
黒塀通りには紅葉があざやかで、都会の寂しげな冬紅葉とは違うあでやかさです。
◯黒塀に綺羅さしかくる冬紅葉 駿
ここが翁たちが2泊された旅宿があったところです。お城から近いです。お爺さんが自転車の荷台に獲物の鮭一本をのせてこの前の道を帰っていきました。さすがに鮭の町の普段の暮らしです。
◯ペダル漕ぐ荷台に鮭の大獲物 駿