新潟は米どころ、さすがに銘酒が豊富です。村上出の友人から勧められた銘柄より大洋酒造の現地限定酒が私にはおいしかったです。翁たちも俳諧連歌を巻いた後で口にしたのでしょうか。
『おくのほそ道』にはお金や飲食物、名物など下賎なことは書いてありません。『曾良旅日記』にもほとんど記載がないですが、ところどころに一二三のような数字と枡形の暗号があります。
北陸街道で先行する曽良が後からくる翁に金一両を宿屋の亭主に預け置いてる程度しか記録していません。なんせ150連泊ですから少なくても一日二人1万円としても総額150万円ぐらいは使ったのではないでしょうか。当時は為替のような仕組みもあったようですが、大金は持ち運べないからどうしたんでしょうか。しもじもとしては知りたいところです。
横に長い新潟では酷暑、残暑で疲労困憊し、越後路14日間は冷淡な記載です。
それでも名吟を吐いておられますよ。
◎荒海や佐渡によこたふ天河
新潟駅で休憩していると爺ちゃんが孫を連れて近くに座りました。笑いかけるその幼き男の子が大昔の私の顔にとても似ていて、なんとも言えない心持ちとなりました。孫のいない私たちは強き印象を刻まれました。あー、あの愛らしき子は今どうしているだろうか。会いたいです。