『「人間なんて、当てになるもんじゃない」とか、「いくら教育したって、しょせん人間なんて変わるものじゃない」と、なにごとにつけても、ひねくれた見方をする人がいるものです。
そういう人は、「人間というものは、どうにも救いようのないものだ」と決め込んでしまい、そういう一面しか見ようとしません。そんな人を見ると、私は気の毒で仕方がないのです。
仏教では、人はみな仏になれる性質を持っていると教えます。貪欲(とんよく)によって表面が垢(あか)で覆われているだけで、煩悩(ぼんのう)の垢の奥に、磨けば光るすばらしい素質がそなわっているのだと見るのです。だからこそ、その素質を磨き出す修行に意味があり、そこに宗教の存在価値があるわけです。
人間が生まれつき救いようのないもので、決して変わることのないものであるのならば、教育とか教化(きょうけ)活動はなんのために行なわれるのでしょうか。人間は教育により、磨き方によってよりよくなるものだと信じているからこそ、教育に情熱を注げるわけです。
信頼は相手が善なるものと思えばこそ成り立ちます。私たちは、すべての人の仏性(ぶっしょう)を信じて、それを育て上げる努力を惜しまずに続けてまいりましょう。』
庭野日敬著『開祖随感』より