『善と悪とを区別して悪に近づかないというだけでは、道徳にすぎません。「この人は善人で、あの人は悪人だ」と裁き、排除するだけでは、この社会の本当の浄化はできないのです。悪事をなす人も善人に変えていく、悪い条件も善い条件に変えていく。それが宗教の世界です。つまり、悪縁を善縁に変えていくところに仏教の真価があるといえましょう。
すべてのものは、使い方次第で善なる存在にもなれば悪なる存在にもなります。たとえばお金は、うっかり使い方を誤ると不浄なものになってしまいますが、上手な使い方をすれば、またとない貴重な働きをしてくれます。
たとえば、いまの十円のお金は、たばこ代にも地下鉄代にもなりませんが、その十円を真心の布施に結集すれば、アジアの多くの難民を救うことができるのです。
人も同じです。かつて悪事に向かっていた人が心を改めて立ち直り、命がけで精進するようになった例を、私はたくさん見ています。どんな悪条件も、生かし方で幸福の素材になるのです。一滴の水をも生かす。仏教の知識を現実生活に生かす。すべてを生かすのが仏教の真精神です。』
庭野日敬著『開祖随感』より