『「衣食足りて礼節を知る」という言葉がありますが、現在の日本の状態は、ぜいたくに慣れきって、足りれば足りるほど逆に礼節を忘れ、道義心がすたれる一方のように思うのです。
かつては、どこの家庭でも「米粒一つでも粗末にするとバチが当たる」と教えたものです。それは、ただ倹約のためだけではなく、仏教でいう不殺生(ふせっしょう)の考え方、あらゆるものの命を大切にすることを教えていたのです。
食事をするときに「いただきます」と合掌するのは、お米を作ってくれた農家の方や、魚を獲(と)ってくれた漁業の方たちへの感謝にとどまらず、「米よ、野菜よ、魚よ、私の命をつなぐためにあなた方の命を頂戴(ちょうだい)させていただきます。ありがとうございます。どうか成仏してください」という感謝と供養の心を込めた礼拝なのです。私たちがいただくお米の一粒は、もみ種として田にまかれれば何百粒もの実をみのらせます。
その命を私たちはいただいているのです。
この「もったいない」という気持ちこそ、日本の心だったと思うのです。現代には現代の生き方があるでしょうが、「もったいない」という感謝の心は忘れてはなりません。』
庭野日敬著『開祖随感』より